そのくらいだから寛厳の手心が甚しく、彦根、尾張、仙台等の雄藩の領地は避けて竿を入れず、小藩の領地になるというと、見くびって烈しい竿入れをしたものだから、領民が恨むこと、恨むこと。そこで、これはたまらぬと、庄屋たちが寄り集まって、竿入れ中止の運動を試みようとしたが、そこはわいろ[#「わいろ」に傍点]役人に抜け目がなく、あらかじめ一切の訴願|罷《まか》りならぬという覚書を取ってある。しかし、領民たちになってみると、死活の瀬戸際だから黙っていられない、その鬱憤が積りつもって、大雨で水嵩《みずかさ》が増して行くように緩慢に似て漸く強大である。どこの村から、どう起ったかということは今わからないけれども、近江の四周《まわり》の山水が湖水へ向って集まるように、湖岸一帯の人民の不平が、ある地点へ向って流れ落ちて溢《あふ》れて来る。
 たとえば野洲郡《やすごおり》と甲賀郡の歎願組が合流して水口へ廻ろうとすると、栗田郡の庄屋が戸田村へ出揃って来る。勘定役人が甲の川沿いから乙の川沿いに行こうとすると、両の郡の農民が結束して集まるもの数千人、ことに甲賀郡西部方面から押し出した農民は、水口藩警固の間をそれて権田
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