、そのしゃがんでいる奴の面を見ると、
「ナンダ、ナンダ、手前《てめえ》は百の野郎じゃないか、このやくざ野郎」
 お角さんの悪態は悪態にならず、全く面負けの、呆《あき》れ返りの捨ゼリフでした。
 こうして、お手水場の中にわだかまっていた奴は、昔は腐れ合いのがんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵というやくざ[#「やくざ」に傍点]野郎そのものに紛れもないのですから、忌々《いまいま》しくってたまらないながら、喧嘩にもならない。
「馬鹿野郎、なんだい、そのザマは」
 お角さんは、続けざまに怒鳴りつけてみたまでですが、中の野郎はいよいよイケ図々しく、お尻を持上げない。
「たまに来たものを、そんなにガミガミ言わずとものこっちゃあねえか――」
「相変らず図々しい野郎だねえ。だが表玄関からは敷居が高くて来られもすまいねえ、臭い奴は臭いところが相応だよ」
「おっしゃる通り表向きには、やって来られねえ身分だからかんべんしておくんなさい」
「どうして、わたしがこの宿にいることがわかったんだい」
「どうしてったって、そこは蛇《じゃ》の道は蛇《へび》だあな、お前がこの街道を、どこからどこへつん抜けて、どこへ泊って
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