、知る人は知る、宇治山田の米友でありました。
 彼が、この数日前、長浜の夜を歩いた時に、思いもかけぬ捕手と、だんまりの一場を演じたことは、前冊(恐山の巻)の終りのところに見えている。その米友が、今は脆《もろ》くもこの運命に立至って、不憫《ふびん》や、この東海道の要衝の晒し者として見参せしめられている。
 彼は今や、彼相当の観念と度胸とを以て、一語をも語らないで、我をなぶり見る人の面《かお》を見返しているから、その後の委細の事情はわからないながら、右の簡単な立札だけを以て、一応要領を得て往《ゆ》く人も、帰る人もある。ところが、この捨札の意味が簡にして要を得ているようで、実は漠として掴《つか》まえどころがないのです。
 そもそも、「この者、農奴[#「農奴」に傍点]の分際」とある農奴[#「農奴」に傍点]の二字が、わかったようで、よくわからないのであります。事実、日本には農民[#「農民」に傍点]はあるが、農奴[#「農奴」に傍点]というものはない。内容に於て、史実なり現実なりをただしてみれば、それは有り過ぎるほどあるかも知れないが、族籍の上に農奴[#「農奴」に傍点]として計上されたものは、西洋に
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