青嵐居士は、その点は多少想像を逞《たくま》しうして、魂胆のほどをも見抜いているところがあるに似ている。
「左様でござるかな」
「左様――あの男とは、先日偶然の縁で、長浜の湖畔で対面しましてな、それから拙者の寓居まで立寄らしめたという因縁がござるが、その節、彼は夜分にもかかわらず、振切って町へ出て、それからついにあの始末です、その間の事情を、人伝《ひとづて》に聞いてみますと、なるほどと思われない事情を含んでいないという限りもございませぬな、あれは一種の人身御供《ひとみごくう》なのですな、当人から言えば、ばかばかしい人違いの罪科で、代官の方から言えば怪我の功名《こうみょう》、ではない、功名の怪我を、そのまま囮《おとり》に使ったという次第であろうと想像するのです」
「なるほど」
 青嵐居士が粘液的に話しぶりを引出すと、不破の関守氏は、他意なく傾聴ぶりを示すのであります。
「後で土地の人に聞きますと、あの晩、思いもかけぬ物凄い一場の場面が、深夜の長浜の街上で行われたそうです。伝うるところによりますと、あの小男はあれで、勇敢無比なる手利きであるそうですな、捕方に向った一方も、その方では名うての腕利きであったが、すでに危なかったそうです。すなわち、さしも腕利きの捕方も、すでにあの小男の一撃の下《もと》に危ない運命にまで立至らせられたものらしいが、半ば以下、形勢が急転して、難なく縛《ばく》についたものらしい。つまりあの小男は、最初のうちは、自分に疚《やま》しいところがないから、理不尽の取押え方に極力反抗したけれども、相手が、わかっても、わからなくても、とにかく正当の職権を以て来ているのを認めたから、ぜひなく縛についたという落着《らくちゃく》らしいのです。ところで縛りは縛ってみたが、連れて来て糺問《きゅうもん》してみると、なんらの罪がない――」

         四

「ははあ、わかりました」
 不破の関守氏は、青嵐居士からの一くさりを聞いて、相当の頓悟があったらしく、二度ばかり頷《うなず》く。
「罪のないものに刑は行えない、刑を行わんとすれば、相当な罪をきせてかからなければならん、そこであの先生、その政策にひっかかったのだな」
「そうです、時節がら、農民おどしの案山子《かかし》に決められたという魂胆なのでしょう、案山子として使用するには、不幸にしてあの男は恰好《かっこう》の条件を備えていたものと認められる」
「ありそうなことです」
 二人はここで、合点して多少の思案にうつりました。
 二人の結論では、宇治山田の米友が、草津の辻で、ああいった運命に落されているのは、要するに時節柄、農民おどしのための案山子として使用せられているのだということの推想と断案とに、あえて異議がないもののようです。
 かりにそうだとしてみても、こういうことをして、あの一人の若者を案山子に使用せねばならない時節柄の、農民の問題の急務ということについては、相当の予備知識がなければならない。
 すなわち、こういうような時節柄であって、もしあやまって土地っ子の一人二人をでも捕えて刑に当て行う段になると、反動を増すばかりである。それをきっかけに暴動を誘発するようなものである。そういう場合に於ては、氏《うじ》も素姓《すじょう》もわからない風来者を捕えて、人身御供にして置けば、人気をそらして、群集を煙に捲くこともできるというものである。その意味の案山子としての使用物件には、米友公あたりは恰好の代物《しろもの》と目をつけられたものらしい。そうなると、案山子に使用せられた彼が運命こそ、不幸にも気の毒至極のものと言わなければならぬ。
 青嵐居士は、かねて長浜にいてお銀様一党の行動を噂《うわさ》に聞いていた。ぜひ一度会ってみたいと、米友にまで、それを言葉にあらわしたことがある。その機縁がもう熟して、ここで二人が対面している。この二人の智者が対面して、談、米友の身の上のことに及んで、その立場がほぼ明瞭になってみると、あれをあのままで見過ごして置くわけにはいくまい。すでに、あれをあのままで見過ごさないとすれば、二人の話題は進行して、いかにしてあの男を救済せんかにある。
 あの男を救済せんとするには、代官を相手にしてかからなければならぬことが、当然わかり過ぎるほどわからなければならぬ。そのお代官も、公儀お代官なのである。徳川幕府直轄の天領お代官ということになる。
 してみれば、二人が打揃って、おとなしく「貰い下げ」運動でも試みようとするようなそんな甘い手では行くまい――だが、多数を率いて示威運動などはこの際、なお悪い――と観念してみたり、或いはまた他に別の手段方法を試むることにでもなるか、いずれにしても、この二人の知恵者が底を割った以上は、あの冤罪《えんざい》の晒《さら》し者《もの》を、あのま
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