同勢が中に取囲んで来た急仕立ての山駕籠の中に、一人の娘が息も絶え絶えに投げ込まれている。
それは、お雪ちゃんが振袖姿で胆吹を下って長浜へ出たのとは事変り、右の娘は否応なしに、この駕籠へブチ込まれて、やっさ、やっさと大勢のために担《かつ》がれて追いかけて来たものと覚しい。ことになおよく見ると、兵助も、七兵衛も、呆《あき》れの眼を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》ったのは、その駕籠の中の娘が、それがさきほど、七兵衛のために湯壺の中で囮《おとり》に取られた娘に相違ないから、何が何だかわからない面でいると、子分の者と、団体客のうちの口利きが、舌なめずりをしながら次の如く申します。
「親分――いったん男に肌を見られた女は、もう、ほかへお嫁に行けねえんだそうでございます」
子分の一人が、だしぬけにこう言い出したものだから、兵助が、
「何を言ってやがる」
そうすると、年役の老人が、
「まあ、親分、お聞き下さいまし、わしらの土地の昔からの習わしでございましてな」
「ふむ」
「昔からのならわしでございまして、娘のうちに男に肌を見られたものは、どんなに身分が違いましょうとも、年合いが違いましょうとも、その男よりほかへは行ってはならねえことになっているんでございます、見たものも因果、見られたものも因果でございまして」
「何だと、何とおっしゃる?」
「そういう習慣《しきたり》でございます、そうして、この娘は、あの場で、こちらのお客様にすっかり見られてしまったんでございますから、もう嫁にやるところもございません、婿《むこ》を取るところもございません」
「ナニ、何とおっしゃる?」
「それのみじゃございません、怪我にでも一人の女の肌を見てしまったものは、否が応でも、その女を自分のものにして面倒を見なけりゃならねえおきて[#「おきて」に傍点]になっているのでございます、それをしなけりゃ村八分、いや、荒神様《こうじんさま》の怖ろしい祟《たた》りがあるのでござんしてな」
「何だ、何だと、おかしな習慣もあるもんじゃねえか」
兵助も呆《あき》れたが、無言でいる七兵衛はなお呆れていると、年役は続けざまに申しました、
「わしらが方では、名主様のお嬢様がお湯に入っているところを、雇人の作男がふと見てしまったばっかりに、そのお嬢さまは隣村への縁談が破談になり、その雇男を、夫に持たなければならなくなってしまったことなんぞもございます」
「冗談《じょうだん》じゃない、そんなことをしていた日にゃ、娘たちを銭湯へはやれねえ」
と七兵衛が口をさしはさむのを、
「何を申しましても、村の昔からのおきて[#「おきて」に傍点]なんでございまして、このおきて[#「おきて」に傍点]を破ると、孫子まで恐ろしい祟りがございます、そうして、現在、この子はあなた様のために、あの通りの目に会いました、善い悪いは別にいたしまして、これがこの子の運でございます、もうこの娘は、あなた様よりほかに面倒を見ていただく人はございませんから、御迷惑さまながら、どこへでもこの娘をお連れなすっていただきたいのでございます」
「な、な、なんですって」
七兵衛は眼を剥《む》き出しましたが、
「もし、あなた様がこの娘の面倒を見て下さらなければ、この娘は死ぬよりほかは行き場所のない子なんでございます」
「な、な、なんですって」
七兵衛は、続けざまにせき込んでしまいました。兵助もまた、あいた口が塞《ふさ》がらない。さしもの二人が立ちすくんでしまいました。
八十三
紀州の南方熊楠翁《みなかたくまぐすおう》が、小説大菩薩峠の内容に就いて、近ごろ某氏に寄せられた書簡中に次の如きことがあります。
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「又西洋一流ニ、水ニ溺レタル婦女ハ、必ズ救ヒクレタル人ヲ一生嫌フモノニ候、オ角トイフ興行師ガ、房総海ニテ難船シ、浜ヘ打上ツタ所ヲ駒井甚三郎等ニ見出サレ、介抱サレ、引取ラレ、忽《たちま》チ駒井ニ愛恋スル所アリ、コレハ西洋流ニ申セバ有リ得ベカラザル事ニ御座候、日本ノコトハ知ラザルモ、難産ヤ、子宮患ナラ、命ヲ救ヒクレタル医者ヲバ、其婦人ハ一生嫌ヒ、途上ニ会フモ道ヲ避ケテ通レル事、何カノ川柳ニ見及ビタル事アリ、小生ノ宅ノ筋向フノ淵下(明治八、九年迄)毎夏|入水《じゆすい》ノ女アリシ、小生何事モ知ラズ走リ行キ見ルニ、女ノ屍ヲ発見セシ男又ハ見物ニ来タル男ハ必ズソノ秘部ヲノゾキ見ルナリ、コンナ心配アル故、一生溺レタ女ハ救ヒクレタル男ヲ避ケ嫌フ事ハ、日本モ西洋モカハリナキト存候、尤《もつと》モアイリッシュノ婦女ナドハ、裸体ヲ見ラレ、浴場ヲ覗ハレタ上ハ、必ズ其男ノ申シ出ヲ拒マズ、川村トテ明治十八、九年、米国ニ留学セシ男ガ、アイリッシュノ若キ女ノ入浴ノ処ニ行合ハセ、別ニノゾカザリシモ、ソノ女ニ
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