能登守様のお船がちゃんと仙台沖から到着して、碇《いかり》を卸して、お前さんの飛び込むのを待っているという寸法でござんすよ」
「なるほど、そう聞かせてもらってみますと、お前さんの言うことはどうやら筋が通っている」
「筋の通らねえことは言わねえ、だから、わしは、お前さんを、その駒井様のお船まで送り届けてやるわけにゃいかねえが、趣向をして落してやりてえと思って、わざわざ先廻りをしてここへ来ていたんだ、悪くうたぐらねえようにしてな」
「全く、筋も通るし、話もわかっているようだが……」
「筋が通り、話がわかると知ったら、何はともあれ、その娘っ子を放してやってくれめえか、それからあとは男と男の対談《てえだん》、まずその女の子から勘弁してやってもらいてえ」
「ようし、わかった……じゃあ、この娘っ子に窮命をさせることは、もう取止めだ、お前さんに引渡す」
「よく言っておくんなすった、多分、そう言っておくんなさるだろうと思って、この通り娘っ子の衣裳も持って来たよ」
「兵助親方――御苦労さまでした。さあ、姉や、もういいから心配しなさんな、なにもお前をなぐさもうのなんのと思って、こんな罪な真似《まね》をしたわけじゃあねえ、今いう通り、背に腹は換えられねえ詰りの狂言さ。さあ、お慈悲の深い仏の親分に引渡すから、よくお礼を言って、みんなのところへお帰りよ」
と言って、七兵衛は、女の子の首へ捲きつけた虚勢の手拭を外《はず》して、そっと女を突き出してやると、女は前後も忘れて、
「わっ!」
と大声に泣き出して、無闇に駈け出すのを、兵助親分がつかまえて、見苦しからぬように衣裳を与えるのを、お礼どころか、ひったくるようにして、こけつまろびつ小屋がけの方へ駆けて行ってしまいます。
八十
それから後、暫くあって、雑木の多い山路を、仏兵助に導かれて歩み行く七兵衛を見ました。
人通りのない山路を、ただ二人だけが静かに歩いて行く。二人ともに笠から草鞋《わらじ》まで、旅の装いがそっくり出来ている。
かくて二人は、無言で、長い山路を飽かずに歩んで行く。兵助の足どりが尋常である如く、七兵衛も決して、それとはやきを競《きそ》おうとはしない。ゆっくりゆっくりと兵助に追従して行くまでのことです。
二人とも容易に口を開かない。始終沈黙して、幾時かの間を歩いて来たが、とある山路の芝原のところへ来ると、兵助が、
「ここが仙人辻というところです、一休みやらかして行きましょうかね」
「それがようござんしょう」
ちょうど、この草原には、二人が相対して休み頃な石ころがある。それへ腰をかけて、二人とも同時に煙草《たばこ》を取り出しましたが、燧《ひうち》を切るのは七兵衛の方が早く、
「さあ、おつけなさい」
「これはこれは、どうも」
七兵衛の接待心を兵助は有難く受取って、二人が仲よく一ぷく燻《くゆ》らしたかと思うと、兵助は草鞋のかかとで吸殻をはたき、
「時に、七兵衛さん」
「何です、兵助さん」
「物は相談だがね」
「ずいぶん……」
「どうでしょう、わしゃ、つくづく、この山路を歩きながら考えたんですがね」
「はい、わしもなんだか、考えさせられちゃいました」
「わしの考えというのはね、わしも、お前さんも、もうこの辺が見切り時じゃねえかと、こう考えたんだがね」
「そうして、これから、どうしようとおっしゃるんですかね」
「わしゃ、これから、釜石道のわかり易《やす》いところまで案内しといて、それから仙台の牢の内へ帰らなけりゃならねえ」
「御尤《ごもっと》もです」
「仙台の御牢内へ帰るんですが、ほかの罪人と違って、わしゃ仏扱いをされるくらいなんだから、そのうちお赦《ゆる》しが出るにきまっているんだね」
「そりゃ、結構なお話です」
「悪いことという悪いことをしていながら、仏の異名《いみょう》を受けて命冥加《いのちみょうが》にありつき、こうして四十の坂を越しても、ともかく、ぴんぴんとして今日が送れるというのは、おやじが仏師で徳人《とくにん》であったその報いなんだと世間が言ってくれていますがな、親爺《おやじ》は徳人であったか知らねえが、わしはもう悪い奴さ、餓鬼の時分から悪い方へ悪い方へばっかり、のしちまいやがって、人間というやつぁ、なまじい何か取柄があるとかえっていけねえ、餓鬼のうちから小力《こぢから》があって、身が軽い、それから柄になく武芸が好きで、好きこそ物の上手というやつで、あたり近所に敵がいねえものだから、つい増長して、親爺の隠徳にすっかり泥を塗ってしまいやした」
「そのこと、そのこと」
と七兵衛は景気よくあいづちを打って、
「わしも御同様さま、餓鬼の時分から悪知恵が人並に生れ増したところへ、この足のはやいというやつが全く魔物でしてね、これをいい方へつかって、飛脚屋渡世でもして納まっ
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