ったにしたところで、また同じ世界を、同じ眼で見直さなければならないとしたら、いっそ、苦痛じゃありませんか、一度で済んだ思いを、二度しなけりゃならぬというのは因果でございましょう、癒らないものとおあきらめなさいませ。そうして、全くお眼が見えないものときまったら、生きていたって仕方がないでしょう、不自由な思いをして、人のお世話になりながら生きていたって、つまらないじゃありませんか、ここらで一生涯の見切りをつけて、これからまた出直してごらんになってはいかがです……わたしだって、どうして今日まで生きていたのだか、何のために生かされていたのか、ちっともわかりは致しませんわ。山の女王様のように、すべてに力が張りきって、自分の思うように、この世の中を征服して行こうという意地があるならば格別、そうでもないわたしなんぞ、有っても無くてもいい存在なんです、いくら生きたからとて、ただ繰返すだけのものなんです、本当に快く死ねそうな時、死ねると思う時に死ぬのが勝ちです……そうして、この生涯を改めて出直した方が賢いのじゃないか知ら」
すらすらとお雪ちゃんは、問いつ、答えつしましたが、相手の納得と否とには少しも頓着なしに、
「ですけれども、あらためて出直すということにも考えなくちゃなりません、罪の深いものは次の世では一層悪く出直すよりほかに道がないとすれば、おたがいに、現在よりもっと悪い道を出直さなければならないとしたら、出直すことさえ考えものですね。先生、あなたは生れかわって来るとしたら、来世は何になって、この世へ出たいと思召《おぼしめ》します……」
と問いかけてみたが、相手は返答がない。また返答を予期してもいないから、お雪ちゃんのひとり舞台ではない、独り演説に過ぎない。
「わたしは、もう二度とこの世へは生れて来ないことにきめました、どんなよい身分のところにも生れて来たくはありません、全く浮ばれないところへ沈んでしまいたいのです。けれども、業《ごう》というものが尽きないで、来世もまた、何かの形を取ってこの世へ生れ変って来なければならないとすれば、わたしは何を選びましょう――美しい花になりましょうか、きれいな鳥になりましょうか。それもこれもいやです。花は、しぼんだり、枯れたりするのを見るのがいじらしい。鳥だって、生きたり、死んだり、追われたりしますもの。といって、木や石になって、口も利《き》けないで、踏んだり、蹴られたりするのもいやですね――わたしは、自分の名の通り、来世は雪になりましょう、雪となってなら、生れ変って再びこの世へ出てもよいと思います。雪も北国の雪のように、何尺も、何丈も、つもって溶けないような、しつこいのは嫌です、朝降って、昼は消える淡雪《あわゆき》――降っているうちは綺麗で、積るということをしないうちに、いつ消えたともなく消えてしまう、春さきにこの湖の中などへ、しんしんと降り込んで落ちたところが即ち消えたところ、あの未練執着のない可愛ゆい淡雪――あれならば生れ変っても損はない。どうしても二度《ふたたび》この世へ生れ変って来なければならないとしたら、わたしは、春ふる雪となって、またお目にかかることに致します」
六十
舟は、やっぱり、進むともなく、退くともなく、水の上に漂うている。あたりは模糊《もこ》として、磨ぎ水のような水気が流れている。
お雪ちゃんその人が本来のロマンチストであるのに、この時は、前に言う通り、全く度胸がすわって、恐怖と、心配ということから全く解放されて、いよいよ驚くべき大胆と、明瞭との気分になって行くのです。
「ああ、すっかりいい気持になりました、帰ることを思えば、船の足が心配になりますけれど、もう帰らないと心を決めてみますと、船なんぞは、進もうとも、退こうとも、浮ぼうとも、沈もうとも、少しも心配になりません。また引返して閉じこもる夜のあることを思えば、お月見の気晴しも結構ですけれども、もう今晩しか夜がないと思えば、お月様なんぞ、有っても無くても、美しいとも、悲しいとも思いはしません。明日という日があればこそ、今晩に名残《なご》りがないでもございませんが、こうと心持がきまってしまえば、明日というものに未練がございません。死ぬということは愉快なものでございますね、わたし、今までに、今晩のただ今のように、心持の晴々したことはございません、先生、わたしが踊れるなら踊って上げたい、歌えるなら歌って上げたい、この上、なんでも御所望して下さい、おっしゃる通り、なんでも思い切って、あなたのためにして上げるわ。ですけれども、わたしは、歌う人でもなし、踊れる人でもないことがうらみなんです。ああ、死にたい、死にたい、こんなに愉快に死ねる晩は、一生に二度はあるものではございません、先生、早くわたしを死ねるようにして下
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