「では本当は、わたしはお軽さんと同じ運命に売られていくのではあるまいか、与一兵衛さんに見立てられた佐造老爺さんは、実はぜげん[#「ぜげん」に傍点]の源六という人ではないか、長浜へ用向とは表面上、わたしは、真実は売られて行く身ではないかしら、もしか真実に、わたしがあの忠臣蔵のお軽さんと同じ運命に置かれた身であったとしたら、わたしはどうしよう……」
というような空想。お雪ちゃんは最初から相当なロマンチストでありますから、駕籠に揺られながら、思わず忠臣蔵の劇中の人に身を置いて、あの芝居の中の最高潮の悲劇のことを、とつおいつ[#「とつおいつ」に傍点]考えはじめましたが、いつしか、そんな空想も破れて、それはあるべきことではない、第一、お銀様という人が、わたしを欺《だま》して売るなどと、そんなことのあろうお人柄であろうはずはない――いったい、わたしは何のために、どうしてこんな盛装までさせられて送られねばならないのか、単にお銀様その人の好奇《ものずき》の犠牲としての、この成行きであろうはずはないが――問うてみても許さるべきでなかったし、問わない方がかえって気休めであると思って、こうして送られて行くが、行先のことが考えれば考えるほどわからない。人の看病ということにしても、なにもそれだけなら、ことさらに、わたしを煩《わずら》わさなくとも、いくらもほかに人はあろうものを、わたしでなければならないようなこの仕打ち――それをお雪ちゃんが、また駕籠の中で思いめぐらしているうちに、ようやくはたと気がついたことがありました。
 ああそうだ、昨日、不破の関守さんのお話の末に、ふと、お銀様のお父様が、こちらへ旅をしておいでになったとのこと、それを小耳にはさんだように覚えているが、それで分った。お銀様のお父様がその長浜の浜屋とやらに泊っていらっしゃる、お銀様としては、あの気象で、お父様を取持つことはできないから、それで、わたしを代りに――それそれ、それに違いない。お銀様のお父様という人は、甲州第一のお金持、その大家の長女としてのお銀様との間に、何か言うに言われない悲しい事情がおありなさるということは、わたしもうすうす聞いていた。父に反《そむ》いた娘を、父の方から見届けに来るということも、また有りそうな親心。
 お雪ちゃんは、そう合点《がてん》をしてみると、急に明るい気持になりました。その役目としてわ
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