祇園へ売られて行くお軽さん。多分、村人村童たちは、村芝居の教育によって、駕籠《かご》に揺られている美しい女を、いちずに、お軽ときめてしまっているらしい。お雪ちゃんはそれを聞いていい気持はしない。いい気持のしないのは、今に始まったのではなく、最初から、こういう極彩色に自分の身をして町に下らしめられることが、本意ではなかったのです。お銀様の意志によって、こういうことにさせられてみると、恥かしいやら、おかしいやら、苦しいような、擽《くすぐ》ったいような気分にさせられてしまいましたが、それでも若い娘のことですから、美しい粧いをさせられたということに、堪え難い嫌悪《けんお》の念は起しませんで、どうかすると、一種の得意の念をさえ催して、年にも似合わず老《ふ》けていた自分というものを、急に青春を取戻したような心持にもなってみたが、村人村童から忠臣蔵のお軽に見立てられて、祇園|一力《いちりき》への身売り道中にさせられてしまったことには、笑っていられないものがありました。
「お軽さんだぜ、ほら、お爺さんが附添っているだろう、あれが与一兵衛《よいちべえ》はんだっせ」
「おお、与一兵衛さん……」
 お雪ちゃんがお軽にさせられた巻添えを食って、気の毒に佐造老爺が、与一兵衛にされてしまう。
 誤解も、誤伝も、慣れてしまえばあまり気にはならない。本来、捌《さば》けた気風《きっぷ》を持っていたお雪ちゃんは、長浜へ近く、ようやく人の眼と口とに慣らされてくると、もう全く度胸が据ってしまいました。何とでもお見立てなさい、また何とでも品さだめをおっしゃい、わたしはこうさせられたこの身上で、行くところまで行きますよ、珍しければ、いくらでもごらんなさい、見られるだけで、穴はあきませんよ、といったような自暴《やけ》に似た度胸にまで変ってきてみると、かえって自分が人から注視の的とされることに、幾分の得意をさえ感じないではありません。
 さて、こんな、見栄《みえ》だか曝《さら》しだかわからない身上で、わたしはいったいどこへ落着くのだろう。お銀様から、落着くべき絵図面は事細かに書いてもらってある。そこへ落着きさえすれば、万事はきまることはわかっているが、落着く先の空気と、相手になるべき人の身の上のことは、一向にわからない。

         二十九

 そのうちに、お雪ちゃんは、ふいと、こんな気持になりました――
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