口を辷《すべ》らしてはじめて気がついたのです。
「わたしは、人の髪を結ってあげることは好きだが、自分の髪を結うのは嫌いです、自分の髪の毛が、どんな色に変っているか、それは見たこともない、見ようとも思わない……見ようとも思わないものを、人に見せるわけにはゆきません」
と、お銀様の言葉は存外平調でしたから、お雪ちゃんもホッとしました。
髪を結い終ると、お銀様が、
「では、お雪さん、あの衣裳箱をとり出して、あなたの身に似合う着物を見立てて下さい、いいえ、かまいません、上も下もみんな抽斗《ひきだし》を抜いて見て下さい――わたしが手伝って着つけをして上げましょう、長浜は縮緬《ちりめん》の本場で、衣裳のことにはみんな目が肥えているでしょうから、笑われないようにして行って下さい」
お銀様の結い上げた島田の出来栄えに、お雪ちゃんはのぼせるほど興味を感じているところへ、立てつづけに衣裳の詮議、それもこの場に於てのあらゆる豪華を尽して展開されようというのですから、お雪ちゃんはわくわくとして、別の世界へ連れて行かれる気分にさせられてしまいました。
二十八
やがて出来上ったお雪ちゃんの粧《よそお》いは、結綿《ゆいわた》の島田に、紫縮緬の曙染《あけぼのぞめ》の大振袖という、目もさめるばかりの豪華版でありました。この姿で山駕籠《やまかご》に揺られて行くと、山駕籠が宝恵駕籠《ほえかご》に見えます。
春照《しゅんしょう》から長浜へ行く、なだらかな道筋、その駕籠|側《わき》に小風呂敷を引背負って附添って行くのは、近頃この王国の御飯炊きになった佐造というお爺さん。人里近くなるにつれて、村人村童の注視の的とされずには置きません。
「あれ、綺麗《きれい》な人が通るよ」
「お人形さんみたいのが通るよ」
「お駕籠で、どこぞのおいとはんが通りなさるよ」
「まあ、綺麗」
「立派だな」
「どこのお娘《いと》はんだすやろ」
「あ、ありゃお軽さんだぜ」
「おお、お軽さんだ」
「お軽さんなら山科《やましな》へ行かるるのでおまっしゃろ」
「いいや、お軽さんは祇園《ぎおん》へ売られて行くんだっせ」
「祇園だわ」
「京の祇園へ、おいとはん、売られて行くんだっせ」
「かわいそうに――」
「あの年でなア――」
「お軽はん、かわいそうに」
彼等は口々に、お雪ちゃんをお軽にしてしまいました。
山科から
前へ
次へ
全183ページ中44ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング