「わたしも、丸髷は大好き……」
「お嬢様、あなたこそ、丸髷が全くお似合いになりますよ、すらりとしたお姿に、粋で高尚な丸髷を結んでごらんあそばせ、それこそ、わたしたち女が見て、うっとりするお姿になるでしょうと思います、ほんとに、お嬢様の丸髷姿こそ、どんなにお人柄でございましょう」
「そうか知ら」
「丸髷は江戸風がよろしうございましょうか、京風でございましょうか。長浜にも、きっと上手な髪結さんがいることでしょうから、お嬢様、今度は、あなたこそ、丸髷にお結いあそばして、お見せ下さいまし」
お雪ちゃんがこう言ったのは、あながち、お銀様の意を迎えるためにばかり言ったのではない、事実、お銀様その人の姿かたちというものを見ているうちに、ことに、そのすらりとした後ろ姿などを見せられる時は、女ながら、うっとりさせられてしまうことは度々なんでした。日頃、心にあることが、うっかり口へ出ただけなのでしたが、その言葉と共に、お銀様の元結《もとゆい》を結ぶ手が、ブルッと異様に顫《ふる》えたのを感づくと、電気に打たれでもしたようにハッとして、
「失策《しま》った」
と、これは口には出さなかったが、自分ながら、鏡にうつる面《かお》の色がさっと変ったのを気づかずにはおられません。
この女王様に、髪を結って見せろと言ったのは、いかに重大なる禁忌に触れたのではなかったか。姿のいいことばかりを考えていたが、その首から以上の神秘に於ては、お雪ちゃんは今日まで、ついに何物にも触れていないし、許されてもいない。この女王様が、朝から晩まで、屋外にあると、室内にあるとを問わず、秘密を守り通しているこの覆面の中の神秘は、未《いま》だ曾《かつ》てお雪ちゃんの前に開かれていない。お雪ちゃんとしては、女王様の威力に圧倒せられて、仰ぎ見ることができないといった、ある程度の憚《はばか》りもあるが、同時に女性として、包み隠さねばならぬほどの秘密を、かりそめにも発《あば》きうかがうには忍びない、というしおらしい惻隠《そくいん》もある。そこで、お雪ちゃんは、今日まで起居を共にしていても、お銀様の首から上の形態は問題にしていない。その頭脳の精鋭には心服しているが、形態的には首から上の先天的に存在しない人として、この女王と応対するに慣らされている。ところが、たった今、不用意で言ったことは、明らかにこの禁忌に触れていたということを、
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