さん[#「ちょうさん」に傍点]の解釈が成り立っていない、一途《いちず》にちょうはん[#「ちょうはん」に傍点]と受取ってしまっている。すなわち、丁よ半よと血眼《ちまなこ》になって勝負を争ったことのためにお手入れがあって、それがために捕われてお仕置になっている、と受取る方がお角さんの頭には通りがよい。
 ちょうはん[#「ちょうはん」に傍点]、ちょぼいちの罪の罪たるべきことはお角さんの頭にもある。ただ、そのちょうはん[#「ちょうはん」に傍点]、ちょぼいちを弄《ろう》したということのために、今日明日のうちに首がコロリというのは、ところ柄かも知れないが厳し過ぎる。まして、あの正直一方の米友が、ちょうはん[#「ちょうはん」に傍点]、ちょぼいち[#「ちょぼいち」に傍点]などにひっかかる人物でないということは、お角親方が頼まれなくとも保証するところである。それがためにお角さんの激昂が一層、煽《あお》られていると見なければならぬ。

         十三

 お角の激昂するのを聞いていた伊太夫は、
「なるほど、そういう場合では、お前さんの気象として、じっとしていられないのも無理はない。だが、相手は何といってもお上役人だから、たとえ理があっても正面からポンポン行くと、かえって事こわしになる虞《おそ》れがある、相当の筋を辿《たど》って、何か穏かな助命方法はないものかね」
 そう言われると、お角さんも馬鹿でないから、昂奮のうちにも、敵を知り己《おの》れを知るの分別が出て来ないはずはない。お上だろうが何だろうが、理に二重はないという勢いで押しかけてみたところで、相手にされなかったらどうする。それを強く押してみたところでどうなる。よし、それはどうなろうとも、当って砕けろだ、ここで後へ引くようなお角さんとはお角さんが違うと言ってしまえばそれまでだが、お角さんの米友と違う点はそこにある。伊太夫は言葉をつづけて言いました、
「そうじて、お上役人というのにぶっつかるには、更に、も一段上から出るか、側面から当るのが最も効目《ききめ》のあるものだ。役人というものは、上役に対しては頭の上らないものだから、天降《あまくだ》りである以上は否も応もない。そうでなければ搦手《からめて》から運動することだ、そこから穏かに話をつけると存外物わかりのよいことがある。名役人というものは上も下もありはしない、理が聞えれば、
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