誰の言葉も聞いてやるが、なかなかその名役人というものはないものでな――だから、天降りとか、搦手とかいうやつが、いつの世でも相当効目があるものなのだ。どうだい、お角さん、そんな意味で何か上の方からこう、運動するような手筋はないかね。わしも一応は、心当りをこれから思案しようと思っているが、何をいうにも旅の身でねえ」
伊太夫からそう言われて、お角としても、いよいよなるほどと思わせられないわけにはゆかないで、
「御尤《ごもっと》もでございますね……」
と言ってみたが、そのほかには急になんらの思案も浮ばないから、二の句もつげない。なるほど、この大旦那が、甲州一円の土地であるならば、ずいぶん面も利き、圧《おし》もお利きなさろうけれど、この大旦那でさえ、旅の身ではねえと喞《かこ》ち言《ごと》をおっしゃる――まして、女興行師風情のわたしで、どうなるものか、それを考え出すと、腐ってしまわざるを得ない。
お角さんが、やきもきしながら返答ができないでいる、その心持を伊太夫は充分察することができるから、お角さんから強《し》いて返答を催促するのでなく、自分のこととして自問自答を試みて、
「いったい、この土地は、どこの藩に属しているのかな、水口藩《みなくちはん》か、膳所藩《ぜぜはん》か――そうだとすればここの権者《きれもの》は何の誰という人か、その人に向っての手蔓《てづる》――ただし、彦根の藩中には相当の重役に知り合いがある、そうだ、あれから渡りをつけてやろうか、彦根ならば他の小藩への通りがよかろう。だがもし、いずれの藩にも属していない天領だとなると、幕府直轄のお代官だとなると、事が少々面倒だぜ、御老中差廻しのお代官に悪く出られた日には、大藩でも扱いきれないことがある――さあ、その辺を一つ考えてみないことには……」
伊太夫は、自問自答式にこうつぶやいて、ようやく思案が深入りして行く途端に、お角さんが、急に声を上げて言いました、
「ああ、いいことがございました、ほんとに、どうしてこれに気がつかなかったんでしょう、わたしという女も、実に頭の悪い女でござんしたよ」
「何か、いい分別がつきましたか」
「大旦那様、誰彼とおっしゃるよりは、新撰組がようござんしょう、新撰組をお頼り申すのが、手っとり早くて、いちばん利《き》き目《め》がありそうでござんす」
「なに、新撰組――」
「左様でございます、とっ
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