「まあ、落着きなさい、何かお前さん、よっぽど張り切っておいでなさるが、何事が起ったのです」
「いえ、なあに、つまらないことなのですが、うちの若い者が……いいえ、以前うちに使っていた若い奴が、気が早いものですから、旅に出て、失敗《しくじり》をやらかしちまいまして――困った奴ったらありません」
「どうしたのですかな。旅に出ては間違いが起り易《やす》いから、うっかり張りきった気分のままでやると、かえって事こわしになりますよ、何事です」
「いえ、もう埒《らち》もない奴なんでございますが、どう間違えられたか、草津の辻とやらで、晒《さら》しにかかって、今日明日のうちに首がコロリ――と聞いてみると、いい気持は致しません、いい気持どころか、こうして、いても立ってもいられないのが、わたしの性分なんでして」
「まあ、待って下さい、その晒し者のことなら、わしも見ましたよ」
「まあ、大旦那様、あなたもごらんになりましたか、あの米友の奴が」
「名前は何というか知りません、また、あの男がお前さんのかかわり合いの男だということも、はじめて聞くのですが、どうも通りかかって、あれを見て、わしも変だと思いましたわい」
「全く変な奴なんでございます、あの友という野郎は、変った野郎には相違ございませんが、ちょうはん[#「ちょうはん」に傍点]をしたり、晒しにかかったりするような、気の利いたことのできる野郎じゃないのです、あいつは、天性曲ったことのできない野郎なんですが、それが間違って、晒しにかかった上に、今日明日のうちに首がコロリでは、どうあっても、このままでは済まされません、こうしている間も気が急《せ》くんでございます、あの野郎は、どう間違ったって、ちょうはん[#「ちょうはん」に傍点]なんぞをする野郎じゃありません、人違いにも程があったものでございます」
 お角さんの言葉によるとちょうさん[#「ちょうさん」に傍点]がちょうはん[#「ちょうはん」に傍点]になっている。ちょうさん[#「ちょうさん」に傍点]の説明は前に言った通りですが、ちょうはん[#「ちょうはん」に傍点]となると僅か一字の相違で、内容も形式も全く別なものになる。すなわちちょうはん[#「ちょうはん」に傍点]というのは「ばくち」の一種で、丁よ、半よと、輸贏《ゆえい》を争うことの謂《い》いなのであります。これによると、お角さんという人の頭には、ちょう
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