、ああそうかとすまし込んでいる女では決してない。自分としては、あんなところへ面《つら》も体も出せた身じゃねえが、あの女ならばどこまでも押して行くよ。そこを見込んで、かけ込んだおれの寸法が当った。
 がんりき[#「がんりき」に傍点]の野郎は、その寸法を己惚れきっている。その一方にはこうして、お角を火の玉のようにして転がし出して置きながら、そのあとを然るべき要領で、お角親方の連衆《つれしゅう》の一人にこしらえ、留守番をひとり守っている体《てい》にして、避難と、休息とを兼ねて、ゆっくりと落着くことができる、つまり、一石二鳥にも三鳥にもなるという寸法だ。これから、あの掻巻《かいまき》の中へ、すっぽりとくるまって、めまぐるしいこのごろの湖畔《うみべり》のやりくりの骨休めをすることだ。
「有難え、お茶を一ぺえ――甘えお茶菓子も有らあ」
 そこで、お茶を飲み、菓子を食い、さて、ゆっくり掻巻へもぐり込んで一休みと、足腰をのばしにかかってみると、指が痛む。
「ちぇっ、右の腕はブチ落される、今度は残った左の方を小指からなしくずしなんぞは醜いこった――因縁《いんねん》ものだなあ」
と言いながら、繃帯《ほうたい》を外して捲き換えている。長浜の浜屋で落された指一本の創《きず》あとがなかなか痛い。めまぐるしさにまぎれていたが、安心してみると痛み出す――懐中から薬を取り出して、それをつけ直している。また繃帯を捲き換えてみる。

         十二

 果して、がんりき[#「がんりき」に傍点]の予想通り、お角さんは火の玉のようになって、この宿を転がり出たのです。
 その勢いで、本陣へ上って伊太夫に面会したが、もうその時は、さきほど心配した自分の責任感のことなどは、いつしかケシ飛んでしまって、晒しの鬱憤で張りきっていました。それでも、つとめて抑制して、伊太夫へは丁寧な挨拶を試みたつもりですけれども、挨拶が済むと早くも暇乞《いとまご》いでした。
「ほんとに、大旦那様、万事ゆっくりとお話し申し上げ、お詫《わ》びも申し上げなければなりませんのですが、急に、急ぎの用事が出来ましたから、これから、ちょっと一走りかけつけて見て参ります、様子を見届けた上で、引返してすぐまたお伺い致します、ほんとに、旅へ出たからって、楽はできません」
 お角さんの余憤満々たるのを、伊太夫は只事でないと見て取ったものですから、

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