んどはお前さんに引導を頼むのだ」
「頼まれ冥加《みょうが》とはこのこと……」
 兵助の手から剃刀を受取ると、今度は七兵衛が立ち上り、兵助は、七兵衛が前にした通りの姿勢をとって、正面にうずくまりました。
「南無阿弥陀仏」
「南無阿弥陀仏」
 どちらからともない、たくまざる念仏の声、まもなくすっぱりと、兵助の髷っぷしは七兵衛の手に挙げられてしまいました。
「おしるし[#「しるし」に傍点]をいただきます」
と言って、七兵衛は、兵助がした通り、切り取った兵助の髷っぷしを押しいただいて、ふところへ納めました。

         八十二

 こうして二人は、おのおのの髷っぷしをおのおののふところの中に納め、残った頭上の余髪は手拭でていねいにあしらって、その上へ笠をいただきながら、
「へんてこな蓮生坊《れんしょうぼう》が二人出来上った」
 苦笑しながら笠の紐を結んでいると、後ろの方で、にわかに人声が起りました。
 今も蓮生坊と言ったあやかりでもあるのか、後ろの方で、熊谷《くまがい》こそは敦盛《あつもり》を組みしきながら助くる段々、二心極まったり、この由、鎌倉殿に注進せん――という声ではないが、起るべからざるところに、かまびすしい人声が起って、しかもこちらへ向って大勢が走りでもして来るようです。
「仙台の親分――仏の親分様」
 わめく声は明らかに聞きとれるようになりました。
「聞分けのねえ奴等だ」
 立つ時に子分共にあれほど言い置いて来たのに、なまじ心配になると見えて、あとを慕って来やがったか、ちぇッ! 兵助はこうつぶやいていると、まもなく、木の間の茂みを分けてそこへ姿を現わした一隊は、案の如く数名の子分共と、それからあとは湯治の団体客の一群、それが真中に急仕立ての一梃の山駕籠《やまかご》を取囲んでいる。彼等は息せき切って、この場へ駈けつけて来て、
「親分、済みませんが、おあとを慕って参りました、よんどころない仕儀が出来まして」
「野郎共、あれほど断わって置いたのに、ナゼ来た」
「まあ親分、聞いておくんなさいまし……」
「親分様――わしが一通り申し上げますから、まあ、お聞きなさって下さいまし」
 兵助の子分と、附添の村の老人とが、ハッハッと息をつぎながら、兵助に向って、何をか言わんとして言い切れない、事の体《てい》が合点《がてん》の行かない有様である。なお合点の行かないのは、この
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