だから、この首の引導は、ぜひ、お前さんへ先にお頼み申さなくちゃならねえ」
「いや、そういう義理にからまるわけのものじゃねえ、どっちにしたところで、功徳《くどく》のあるなしにはかかわりはねえのだ、遠慮をなさらずにひとつ頼みます」
「いけません、今日のところは、兵助さん、お前さんがこの七兵衛の導師なんだ、わしから先に剃刀を当てる法はねえ」
「ところが、失礼だが、お前さんの方がわしよりいくらか年上かも知れねえ、年役《としやく》ということがある」
「そういうことは、年にかかわるものじゃござらねえ、ここは、兵助さん、お前がまず、わしの頭へ手を下しなさるところなんだ、どうあっても、七兵衛が先に、お前さんのお頭《つむ》へ手を上げるというわけにゃいかねえ」
「それじゃ、この剃刀の引込みがつかねえ、せっかくの発心《ほっしん》が水になる」
「引込みのつくようになさいと申し上げているんじゃございませんか、発心が水になるどころじゃございません、お前さんの発心が、立派に二つになって実を結ぶという道理を、聞き分けておくんなさい」
 そこで二人は相対して、また沈黙の形となりました。かなり長い時の間、二人はまた考え込んだ形で、だまりこくってしまいましたが、七兵衛がどうしても譲って肯《き》かない。その動かない気色《けしき》を見て取った仏兵助は、ついにきっぱりと折れて出ました。
「よろしうがす、そういう次第ならば、七兵衛さん、わしが言い出し発頭《ほっとう》で、失礼だが、お前さんの頭へ手をかけます」
「有難い――ほんとうに、願ってもねえ善智識でございます」
「罰《ばち》が当るだろうなあ」
「どうか、さっぱりとお頼み申します」
「南無阿弥陀仏」
「南無阿弥陀仏」
 二人の口から、あんまり言い慣れない称名《しょうみょう》が、ひとりでに飛び出すと、七兵衛は、仏兵助の前へ正面に向き直って、拝礼するような姿勢をとって首を下げたのは、その髷《まげ》っぷしを充分に切りよいように仕向けたものです。
 兵助はついに剃刀を取り直しました。
 まもなく、まだ黒い血の塊をでも臓腑の中から取り出したもののように、七兵衛の髷っぷしが兵助の手に取り上げられる。
「七兵衛さん、どうも失礼をいたしました、では、これこの通り――このしるし[#「しるし」に傍点]は、わしがしっかりといただきますぜ」
「有難い、有難い」
「では、七兵衛さん、こ
前へ 次へ
全183ページ中151ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング