然な兵助の言い分に面喰ってしまうと、
「とても、わしなんぞは善智識に得度をしてもらうような果報の者じゃねえ、いっそのことお前さんにお願い申して、ここでひとつ、この髷をちょんぎってもらって、それで後生往生の門出とこう腹をきめたんです、どうかひとつ頼みますよ」
と言って、兵助が七兵衛の前へその剃刀をつきつけたものです。
八十一
しばらく呆気《あっけ》にとられて、兵助の面《かお》をじっと見ていただけの七兵衛が、
「うーん、こりゃ、よくおっしゃっておくんなすった、そういうことは、こっちが先に気がつかなけりゃならねえことなんです、恐れ入りました、兵助さん、よくお心持はわかりましたから、暫時お控え下さいまし」
「心持がわかってさえもらえば、遠慮をなさることはねえ、どうぞ頼みますよ」
「まあ、お待ち下さい、お前さんにそこまで腹を見せられて、おいそれと剃刀が取れるわけのものじゃございませんわね、申し遅れて恥かしいが、わしの心持も一通り聞いておくんなさい」
と言いながら、七兵衛は自分の被っていた笠の紐《ひも》をあわただしく解いて、それを脱ぐと、兵助の前へその露頭《ろとう》を突き出しながら、
「いかにも、お前さんのおっしゃることがわかりました以上は、そのお頼みとやらも快く聞いて差上げますよ、だが、その前に、わしが心持も見ておもらい申してえ、また、頼みも聞いておもらい申してえ、というのはほかじゃござんせん、お前さんが今おっしゃったお言葉通りのお頼み、まずわしが方から先に聞いていただきてえんです」
「と、おっしゃるのは?」
「お前さんのお頼みは、あとで必ず果して上げますから、その前に、わしがこの髷《まげ》っぷしを、切るなり、坊主にするなりしておもらい申して、それからの上に願《ねげ》えてえんです」
「なるほど――そうおっしゃるのは、いかにも七兵衛さんらしいが、そいつはいけねえ、人の趣向を先取りなんぞは、人が悪いというものだ、お前さんが、すんなりわしの頼みを聞いておくんなさった上は、わしもなんだかお強《し》い申したようで気が置けるけれども、お前さんの頼みというのを聞いて上げますよ、さあ、わしの立てた趣向だから、わしに初筆《しょふで》の華《はな》を持たせておくんなさい」
「そいつはいけません、わしゃお前さんから助けられた命だ、いわば仙台へ来て、お前さんに繋がれたこの首なん
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