能登守様のお船がちゃんと仙台沖から到着して、碇《いかり》を卸して、お前さんの飛び込むのを待っているという寸法でござんすよ」
「なるほど、そう聞かせてもらってみますと、お前さんの言うことはどうやら筋が通っている」
「筋の通らねえことは言わねえ、だから、わしは、お前さんを、その駒井様のお船まで送り届けてやるわけにゃいかねえが、趣向をして落してやりてえと思って、わざわざ先廻りをしてここへ来ていたんだ、悪くうたぐらねえようにしてな」
「全く、筋も通るし、話もわかっているようだが……」
「筋が通り、話がわかると知ったら、何はともあれ、その娘っ子を放してやってくれめえか、それからあとは男と男の対談《てえだん》、まずその女の子から勘弁してやってもらいてえ」
「ようし、わかった……じゃあ、この娘っ子に窮命をさせることは、もう取止めだ、お前さんに引渡す」
「よく言っておくんなすった、多分、そう言っておくんなさるだろうと思って、この通り娘っ子の衣裳も持って来たよ」
「兵助親方――御苦労さまでした。さあ、姉や、もういいから心配しなさんな、なにもお前をなぐさもうのなんのと思って、こんな罪な真似《まね》をしたわけじゃあねえ、今いう通り、背に腹は換えられねえ詰りの狂言さ。さあ、お慈悲の深い仏の親分に引渡すから、よくお礼を言って、みんなのところへお帰りよ」
と言って、七兵衛は、女の子の首へ捲きつけた虚勢の手拭を外《はず》して、そっと女を突き出してやると、女は前後も忘れて、
「わっ!」
と大声に泣き出して、無闇に駈け出すのを、兵助親分がつかまえて、見苦しからぬように衣裳を与えるのを、お礼どころか、ひったくるようにして、こけつまろびつ小屋がけの方へ駆けて行ってしまいます。

         八十

 それから後、暫くあって、雑木の多い山路を、仏兵助に導かれて歩み行く七兵衛を見ました。
 人通りのない山路を、ただ二人だけが静かに歩いて行く。二人ともに笠から草鞋《わらじ》まで、旅の装いがそっくり出来ている。
 かくて二人は、無言で、長い山路を飽かずに歩んで行く。兵助の足どりが尋常である如く、七兵衛も決して、それとはやきを競《きそ》おうとはしない。ゆっくりゆっくりと兵助に追従して行くまでのことです。
 二人とも容易に口を開かない。始終沈黙して、幾時かの間を歩いて来たが、とある山路の芝原のところへ来ると、
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