の》れの背後に人の来り彳むことを忘れたのではありません。本来、この少年は聾《つんぼ》で、そうして唖《おし》です。じらい聾なるが故に唖となったのか、唖なるが故に聾とされたのか、それは別問題として、この少年は五官のうち、見ることは許され、聞くことということは許されないのですから、後ろから来る人の物音には、いっこう気づかない本能を成している上に、これも何か特に一心不乱になるものがあって、たとえ耳あって聞くことを許され、口あって言うことを可能とされておりながらも、心の昂上と、熱心とのために、その働きを塞《ふさ》がれているほどの統一を白雲は凝視している。
両手を組んで、高く差し上げたかと思うと、再びそれを下に卸して、首を下につけた、というよりは、五体のすべてを投げ出して平伏《ひれふ》しました。その度毎に、声はないが激しい震動がある。激しい魂の震動があって、凝視している白雲の心臓にこたえるものがある。
彼は仰いで天に訴え、伏して地に訴えるの形をしているのだ。仏教でよくいう五体投地の形をしているのだ。つまり、天地神明に対して、身を以て祷《いの》りつつあるのだという感動をも、田山白雲は直ちに受取ってしまいました。
「金椎さんは、イエスキリストを信じています」
これは常に清澄の茂太郎が高らかに呼ぶところの反芻《はんすう》の一句でありますから、白雲は即座に、それをその通り受取ることができる。
「いかにも、この少年はイエスキリストを信じている、イエスキリストというのは、つまり、キリシタンバテレンなんだ――だが」
白雲は、キリシタンバテレンに対しては、先入的に好感は持てないながら、なんにしても一箇の生霊が全心全力を挙げて、天地の間に礼拝《らいはい》している形式そのものに対しては、粗略になれない。
何とは知らず、骨までゾッとしたものに襲われて、この少年の挙動をさまたげてはならない――という気になって、粛然として息を呑んでいると、五体投地の少年の前面に、つまり、親柱の麓《ふもと》のところに、異様にかがやくものの存在を認めました。よく見ると、夜目にもしるき丈《たけ》一尺ばかりなる銀の十字の柱が、厳然と押立てられて、少年はその銀の十字の柱を対象として、全身全霊を以て礼拝している。今や、白雲自身が、今夜いままでのあらゆる紛々たる感覚を忘却して、凝然として、十字の柱の前に輾転躍動する支那少年
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