以上に、茂太郎の答を追求することをやめて、さっさと急ぎ足に甲板から船腹の中へ下りて行って見ました。
まず機関室へ行って見ると、マドロスが抜からぬ面《かお》で機関を扱っている。
「タヤマ先生」
この男が、何者よりも白雲を苦手としていることは申すまでもない。船長に対して特に敬意を表せざる場合、時として反抗心を持ち得る場合にも、白雲に対しては一も二もない、むしろ求めざるに迎合して、その甘心を得て置きたい風情《ふぜい》がある。
「マドロス君、君は、今、甲板へ出たかね」
「いいえ、のぼらないです」
「よく職場につとめていたか」
「ええ、この通り、よくつとめていたです」
「そうか」
それ以上に白雲は追究しないで、一通り室内を注視しただけで出て行ってしまいましたが、次に訪れたのは、兵部の娘の寝室でありました。
「御免なさいよ」
返事がない。二度目に、
「寝ていますか」
「…………」
まだ返事がない。中から応答はなくとも、当然、船の舎監であるべき田山白雲は、適当の用意を以て、そっとドアを外から押してみました。
ランプが点《つ》いている。その下の寝台の上に、女が一人、うつぷしに泣いている。すすり泣きをしている。髪も、衣裳も、乱れに乱れている。
「もゆるさん」
いっこう返事はないが、すすり泣きしていることによって、寝入っているのでないことがよくわかる。白雲はそれより以上には立入らないで、その女の荒い呼吸をじっとこちらから見つめているばかりでしたが、暫くして、黙ってそこを出て行きました。
女の寝室を出てから、白雲が戻って来たのは自分の部屋で、そこで外出用のランタンをつけ、それを提《さ》げて、改めて船内の見廻りにかかったのです。この人は、船の中での警視総監を買っている。いや、買わなくても、船長以外に於て、当然その役目を引受けなければならないのは、この人の立場でありました。
そのランプを提げて、いちいちの船室を見舞いますと、ある者はよく熟睡しているが、ある者は眼を醒《さ》ましていて、
「御苦労さまでございます」
と挨拶をする。かくて房州から来た船大工、これは相当の年輩。機関手見習の若い者二人が寝ているところへ来て、
「君――君」
と白雲が呼び立ててみたが、二人はよくそこに寝ているが、醒めて答えようとしない。白雲はそれが当然|狸寝入《たぬきねい》りだということを知り、同時にそ
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