いでしょう――こんなもの、海へおっぽり投げておしまいなさい」
 差していた脇差を邪慳に虐待したお雪ちゃんは、今度は傍らにさし置かれた長いのへ手をかけると、それをも邪慳に引ったくって、船べりから湖水へ向けて、まさに投げこみまじき仕草に及びました。
「それは勘弁してくれ、それはまだ捨てられない品だ」
と竜之助は、片手を殺していながら、片手をのべて、お雪ちゃんの手から、刀の鐺《こじり》をとって、おさえてしまいました。
「そうでしょう、これは、あなたにとって大切なかたみなんですからね、姉さんの心づくしでいただいた新刀第一、堀河の国広なんですから、これは惜しいでしょうよ」
と言うお雪ちゃんの言葉は、今晩に限って、たしかに物《もの》の怪《け》にとりつかれているに相違ないほど、たかぶったかんの物言いぶりです。
「よく、覚えているねえ」
と、子供をあやなすように竜之助が感心すると、
「覚えていなくってどうするものですか、その刀ゆえに、姉さんは殺されたのです、そうして、わたしもまた……」
「飛んでもないことを言う、いつどこで拙者がお雪ちゃんの姉さんを殺しました」
「江戸に近い巣鴨の庚申塚《こうしんづか》というところで、わたしの姉さんが、あなたに刺し殺されたということを夢に見ました」
「それはヒドい、夢に見たことをまことのように、なすりつけるのはヒドい」
「何がヒドいことがあるものですか、姉さんばかりじゃない、いつか一度、わたしもその刀で殺されるんじゃないかと、あの時から覚悟をきめていました、わたしだって、あなたがごらんになっているほど子供じゃありません」
「あの時とは……」
「存じません、存じません、弁信さんに聞いてごらんなさい、あなたは弁信さんを斬りそこねたから、わたしを斬ったのです、いいえ、弁信さんの身代りに、いつかわたしが殺される時があるでしょうと、あの時から覚悟をきめていると申し上げているんです」
「夢と、まことと、一緒にするのみならず、自分の頭で考えていることと、これから後の出来事とを、みんなごっちゃにしたがる、お雪ちゃんの悪い癖だ」
「でも大抵は後の出来事が、みんな最初思った通りになって行くんですもの。あなたは、いつぞやおっしゃいました、この長い方は人を斬る刀で、短いのは物を刺す脇差だ、人がましいものはこれで斬るが、女子供はこれで刺す――脇差で斬るのは畜生か、人間並みに数
前へ 次へ
全183ページ中108ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング