えられないものに限る、と、わたしに教えて下すったことがございました。わたしなんぞは、とても、この長い刀で斬られるほどのねうちのある人間ではございませんから、この短い方で結構なんでございます」
と言って、お雪ちゃんは、今更のように、今まで投げるの抛《ほう》るのと言った長い刀を、竜之助の手に戻して置いて、また腰にさした脇差の方にとりついたものです。
「わたしなんぞは、とても人間並みに扱っていただけないんですから、この短いので、斬るなり、刺すなり、突くなり、存分になぶり殺しにしていただきましょう。ああ、焦《じ》れったい、こうしているうちに夜が明けたら、どうしましょう。いったい、何刻《なんどき》なんでしょう、たった今、鐘の音が一つ聞えたばっかりで、あとは聞えません、七ツの時が六ツ鳴りて……七ツにも、六ツにも、ここでは、さっぱりわかりません。まあ、さっきからこんな暗くなっているのが、今わかりました、霧の中でむせ返っていたお月様が、今度はほんとうに山の中へ落ちてしまったんでしょう、真暗くなりました。いつまでも、いつまでも、この通り真暗で夜が明けなければいいのだけれども、この世にいる限り、暮れない日というものはなく、明けない夜というものもございません、こうしているうち時が経てば、きっと夜が明けます、夜が明ければ、わたしたちは生恥をさらさなければなりません、そのくらいなら、いっそ……あなたが殺して下さらなければ、わたしの手で死にます――」
お雪ちゃんの昂奮は、まさしく狂乱の域に入って、竜之助に武者ぶりつきましたのを、竜之助は片手で軽くあしらって、
「死にたければ、水へ入らずとも、刃物を用いずとも、いくらでも死に方はあるのだ」
「どんな仕方でもよろしうございます、早く死にたい、早く死なして下さい」
「では、こういうふうにして」
片手を殺している竜之助は、一方の猿臂《えんぴ》をのべて、お雪ちゃんの背後から、咽喉部へぐっと廻して締めるしかたをする。
「あ!」
「それごらん、苦しいだろう、いよいよとなると死ぬのはいやだろう」
「いいえ、そうじゃございません、不意でしたから、少しあわてたまでです、もう驚きません、ですけれども先生、殺して下さるなら、なるべく苦しませないようにして殺して下さい」
「では……こうして、静かに、そろそろと」
「そうして下さるうちに、息がつまって来るのですか」
「
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