《や》いていたのです、ゆうべも、その恨みを言いにわたしの枕許《まくらもと》へ参りました、そうしていやらしい身ぶりをしては、お楽しみだの、うまくやってやがらあだの、さんざんいやみを並べて行きました」
「つまらんことだ」
「ねえ、宇津木さん、全くつまらないわ、何かあるんなら、あるように嫉かれても仕方がないけれど、こうして清い旅をしているのに、嫉かれちゃ全くつまらない!」
「仏頂寺という奴もばかな奴だな、第一、拙者の手から、君というものを奪って行って、いいようにしたのは彼じゃないか、こっちに恨みの筋はあろうとも……」
「それはいけません、それをあなたがおっしゃれば、わたしは仏頂寺を憎むより、一層あなたというものを憎まなければなりません、あの時の罪は、仏頂寺より、あなたの方が十倍も上なんです」
「でも、あれから君は、仏頂寺にいいようにされた上に……」
「何をおっしゃるのです、わたしが好きこのんで仏頂寺にいいようにさせたとおっしゃるのですか、それはお間違いではございませんか、かよわいわたしを振捨てて、あの人たちの手にいいようにさせた憎い人は誰でしょう、中房から松本へ出る、あの道中の誰かの不人情が、わたしは生涯忘れられません、その生涯忘れられない思いが、宇津木さん、あなたに一生|祟《たた》るから、こればっかりはよく覚えていらっしゃい」
「怖《こわ》いことを言うな」
「あなたは、わたしが仏頂寺にいいようにされたとおっしゃいましたね、そのいいようにというのは、どういうようにされたのですか、それを承りたいものですね、どうせ旅から旅の芸者かせぎのことですから、世間様へ通る操《みさお》がどうのこうのとは申しませんが、あの時は、仏頂寺を憎いと思うよりは、あなたを心から憎いと思いました、今でもあの時のことを考え出すと、憎い!」
痴話も嵩《こう》ずると真剣になることがある。あぶない。その時、行手の谷間から、がやがやと人の声があって、こちらをめがけて悠長に登って来る。そこで人心ついた二人は、痴話喧嘩もそっちのけで、急いでよそゆきの旅人気分を取りつくろって立ち上りました。
四十八
まもなく、ここへ現われて来たのは、珍しく両刀を帯びた検見衆《けんみしゅう》らしいのが二人、間竿《けんざお》を旗差物《はたさしもの》のように押立てさせた従者と、人夫と、都合七八人の一行でありました
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