つか》ねえ」
「だって、白山へ行くには、この谷をつっきって行くよりほかに道がないじゃないか」
「そんな眼玉だからいかん、白山へ行く道は、ほかにあるよ、探して見たまえ、探してからなけりゃ、自分で造って行って見給え」
「冗談《じょうだん》いうな――君、知ってるなら教えてくれ」
「はっ、はっ、はっ、俺ゃ最初から、白山の頂なんぞを目標に置いとらん、畜生谷へ行くつもりでやって来たんだから、そんな道は知らん」
「そうか。しかし、道はこの通り立派について、蜿々《えんえん》として帯をめぐらしたように、一旦はあの谷、あの部落を貫通して、それから向うの峠へ抜けるようについている、ほかに道がない限り、これよりほかへは行けようはないから、君が何と言おうとも、わしはこの道を突破する」
「できるものならばやって見給え」
「畜生谷を通過したからとて、身が畜生になるわけではあるまい、もしそうだとすれば、狼谷を通れば狼に食われ、磨針峠《すりばりとうげ》を通れば自分の身が針になる」
「宇津木、小理窟を言うなよ、おれは、親切でもってお前にこの道を通るなと忠告をしているんだ、いや、通るとも、通るまいとも、それはお前の勝手というものだが、この谷を通ることによって、あの雲をいただく白山の上へは出られないということだけを、おれは明言しているのだ。いかにも、お前の言う通り、畜生谷を通ったからとて身が畜生になるわけではないが、白山へ行くのとは道が違うということだけを言って聞かせているのだ」
「忠告は有難う、しかし、君という人間の忠告が、一から十まで聴従できるものとも考えられない」
「はっ、はっ、はっ、以前から信用のないこと夥《おびただ》しい。では、夜の明けない、足許の暗いうちに、仏頂寺は引込むよ」
「まあ、もう少し待ち給え」
「いや、そうしてはおられん、いま仏頂寺のいるところは、世界が違うからな、鶏でも鳴き出したら最後だ、まあ、足許の暗いうちになあ、丸山、お暇とやらかそう」
「そうだ、おい宇津木、用心しろよ」
「どうしても帰るのか」
「帰るよ、宇津木、じゃあ、失敬!」
「そうか」
「はっ、はっ、はっ、うまくやってやがら」
「お楽しみ……」
 こうして、仏頂寺弥助と丸山勇仙が、雲の中へ姿を消してしまいました。その途端に醒《さ》めて見ると、夜風が外でさわぐ。女はと見れば、またしても、だらしのない寝像、せっかく被《かぶ》
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