た、本当の安楽は、世の見て以て逸《いつ》とするところに存在せずして、見て以て労《ろう》とするところに存在するのではございますまいか。御存じでございましょう、佐藤一斎先生が太公望をお詠《よ》みになった詩の中に、『一竿ノ風月、心ト違《たが》フ』という句がございます、その前句は多分、『誤ツテ文王ニ載セ得テ帰ラル』とかございました、私の記憶と解釈が誤っておりましたらば御免下さいませ、あれは、太公望が釣をしているところを、周の文王に見出されて天下の宰相となりました、普通の眼で見ますると、これより以上の出世はないのでございまして、世間の光栄と羨望の頂上でございますが、太公望御自身から申しますると、大へんにこれは間違っている、自分の本当の楽しみは、一竿の風月にあって、天下の宰相になることではない、それを見出されてしまったのは時の不祥である、という心持を、さすがに佐藤一斎先生がお詠みになりました。それは負け惜しみでも、似非風流《えせふうりゅう》でもございません、太公望様それ自身の本心なのでございます、楽しめば一竿の風月の中に不尽の楽しみがある、それよりほかの物は結局|煩《わずら》いに過ぎない、という太公望の心境を、さすがに佐藤一斎先生がお詠みになりました。それからまた、三国の時代の有名な諸葛孔明《しょかつこうめい》でございますが、御承知の通り、諸葛孔明様の有名な出師《すいし》の表《ひょう》の中に、『臣モト布衣《ほい》、躬《みづか》ラ南陽ニ耕シ、苟《いやしく》モ生命ヲ乱世ニ全ウシテ聞達《ぶんたつ》ヲ諸侯ニ求メズ』というの句がございます、聞達を諸侯に求めずという、この求めざるの心が、あえて諸侯に向って求めざる所以《ゆえん》に限ったものではございません、何者に対しましても求めざるの心があって、はじめて心が乱れませぬ、心が乱れませぬ故に、いつも平和でございます、何者が参りましてもこれに加えることができませんし、またこれに減ずることもできないのでございます。古語に『自ラ求メザルモノニ向ツテハ哀楽ソノ前ニ施スべカラズ』というのがございます、世にこの求めざるの心ほど強いものはございません。諸葛孔明《しょかつこうめい》は最初からこの最も強い地位に坐しておいでになりました、その求めざるの心が安定いたしておりましたのは、それだけ修養が積んでおりましたのですが、一方から物質的に見てみますると、あの『躬《
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