汰《さた》ではない、とこう考えていらっしゃると存じますが、それを、もう一歩進んで考えていただきとうございます。私とても、現在の農民生活がこれでよろしい、これでお前たちには充分だ、これより生き過ぎてはお前たちの分に過ぎる、と申したくはございません、どうかして、もう少しお百姓の生活を楽にして上げたいものだと思わないことはございませんが、それより先に教えて上げていただきたいことは、苦しいだけが農民のつとめではない、ただいま私も申しました通り、百姓ほど正しい仕事はない、百姓ほど貴い仕事はない――ということの観念を昔に戻して、農民たちによくよくさとらせることが急務ではないかと考えているのでございます。さあさあまた、あなた方は、なあに盲法師の小坊主が途方もない減らず口、自分の立場を苦しくないと考えようにも、貴いと考えさせようにも、現在この通り苦しい、この通り卑しめられている、現在それを頭だけ引離して、考えてみること、考えさせてみることが、どうしてできる――と、かようにおさげすみになっていらっしゃるでございましょうが、そこが、私の頭の違うところでございまして、とにかく、一応お聞取りを願いたいのでございます」

         四十二

 弁信法師は引きつづき、滔々《とうとう》と喋《しゃべ》りまくりました――
「これは、ひとり農民に限ったことはございません、すべての人に伝えなければならぬ観念なのでございますが、ことに農民から始めて、誤った貴賤貧富の観念をすっかり改めてやらなければなりません。貴賤貧富の観念を改めると申しましても、悪平等に堕せよと教えるのではございません、君は君とし、親は親とし、人倫はおのおの尊重し合わなければなりません、それは古《いにし》えよりの道でございます、その正しい倫理観念に反逆をそそるような教え方はいけません。中世以降、この世界をすべて麻痺《まひ》せしめてしまっておりますところの、貴賤上下の観念だけはすっかり取払ってやって、万事はそれからのことなんでございます。後代の貴賤上下の観念は、人間本質の輝きではございませんで、その輝きを没却するところの手段方法に供せられた点が夥《おびただ》しいのでございます。そのために、世界の見て以て卑しとするものが、必ずしも卑しからず、俗界の見て以て貴しとすることが、必ずしも貴からず、貧が必ずしも辛《つら》からず、富が必ずしも楽
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