目でジロリと見たが、その次に、アッと驚いて、また見直して、また驚き直しました。
「まあまあ、お前さんは、歳《とし》どんじゃないの、歳どん――間違ったら御免なさい」
 今まで物に動じなかったお角が、その時になって、はじめて取乱して、こういう頓狂声を立てたものですから、上下内外、みな驚かされました。

         百七十九

 見慣れぬ女の声で、新撰組の隊士もみな気色ばむうちに、土方は篤《とく》とお角さんを見つめて、
「は、は、は、こりゃあ珍しい、両国の親方じゃないか」
 副将がこう言ったものですから、一同がまた呆気《あっけ》にとられてしまっていると、
「ほんとに、お前さん、歳どんでしたねえ、みんながまた、新撰組、新撰組って、鬼の寄合いででもあるように騒ぐもんだから、どんなに荒武者が来るかとビクビクものでいたんですよ、ところがお前さんは、歳どんじゃないか、お前さんが、その新撰組? しかもそれが隊長様とは驚きましたよ、夢じゃないだろうねえ」
とお角さんが、あたりかまわず言ってのけて、なれなれしく土方歳三の傍へ近づいて来るものですから、誰も煙《けむ》に巻かれないわけにはゆかないのです。それさえあるに、土方が、またそれを極めて磊落《らいらく》に扱っていることが、とても他人とは思われない。
「新撰組だって鬼ばかりじゃない、この通り、おとなしい色男揃いだよ」
 土方歳三が笑って答えました。
 ここに色男と言ったのは、土方としては、いささか軽薄な言い廻しの感がないではないが、事実上、近藤勇は精悍《せいかん》そのものの如き面魂《つらだましい》の持主ではあるが、副将の土方歳三は、小柄で色が白く、それに当人もなかなかお洒落《しゃれ》なので、見たところ色男の資格は充分である。のみではない、色男の実証を、このお角さんに押えられている筋がある――それはそれとして、それに従う問題の小太刀の小天狗、沖田総司にしてからが、多病才子の面影充分なのですから、土方がお角さんに向って、新撰組は色男揃いだとのろけたのも、理由がないではありません。そこでお角さんが、
「ほんとに、どうして歳どん、お前のような色男が、新撰組になんぞなったのです、わからないもんですねえ」
と感歎してしまいました。
 ここで、お角さんは、土方歳三をつかまえ、歳どん、歳どんと、頭から浴せかけて憚《はばか》らない。
 ところによっては、「どん」という言葉が、同輩でもあり、敬称になる場合もあるが、関東では「どん」称は目下でなければ使わない。長松どんだとか、おさんどんだとかいう場合でなければ、関東では「どん」称語を用いないことになっている。西郷どんだの、東郷どんだのと、相当の人傑に対して、断じて「どん」称を用いることは江戸にはない。ところが、お角さんは土方歳三に向って、遠慮なく「どん[#「どん」に傍点]」称号を乱発しているし、御当人の土方そのものが、また、この「どん[#「どん」に傍点]」称号を甘受して、あえて悪い面《かお》をしない。
 してみれば、お角さんの眼から見れば、土方歳三は、どうしても同輩以下のあしらいであり、土方は、それをそのままで受取らなければならない身分の相違がある。といって、お角さんそのものが、頼朝公の落《おと》し胤《だね》だという系図書もなし、何の因縁で土方をどん[#「どん」に傍点]扱いにするのだか、それは分らないが、存外寛大な土方は、お角が上方見物の途中と聞いて、
「では、京都へ来たらぜひ拙者のところへ寄り給え、三条の新撰組の屯所《とんしょ》と言えば直ぐわかる。だが、隊へ来て、歳どん、歳どんは困るよ、土方先生とたずねて来いよ」
「いやな先生――あんまり弱い者いじめをなさると、松坂屋の一件を素っぱ抜いてあげますよ」
とお角さんが言いました。

         百八十

 そうすると、土方歳三が丁と頭をうって、
「いや、どうも、古創《ふるきず》をあばかれては困るよ」
と言いますと、お角が、
「向う創ですから大丈夫ですよ」
と答えました。
「あぶないもんだ、お手柔らかに願いたい」
 この問答を見ると、土方歳三がいよいよ受身である。よっぽどこの女親方のために痛いところを押えられているように見える。
 しかし、お角も心得たものですから、それ以上には立入って冗談《じょうだん》を言いませんでした。以前のことは知らないが、今こうして一代の名士となっている以上、愛嬌の程度までの心安立てならいいが、あんまり深入りしてはいけない、一旦は驚きのあまり、打解けてみても、物の頭《かしら》となっている人には、立てるだけは立ててやらなければ嘘だという世間学が、お角を急にしおらしい女にして、
「では、今日は、これから山王様へ御参詣を致しますから、これで御免蒙ります、あんまり思いがけないところでお珍しくお行会い申しましたものですから、ついつい失礼な口を利《き》いてしまいました、取るに足らない、たしなみのない人間のことですから、御免下さいませ。では、京へ着きましたら早速お伺いさせていただきます、お大切に」
 打って返したような折りかがみをして、お角さんが一行を引連れて、山王様の御門前の方へとゆらりゆらり出かけて行ってしまいました。
 土方一行も、それから間もなく、村役人を先に立てて、例の修羅場の名残《なご》りの場へと進発し、そこで、一応の検分をしてから、死体を取片づけさせてしまいましたが、ほどなく馬に乗って、大津の方へと急がせて行く土方歳三――沖田総司が一人ついている。
「土方先生、あれは何です、あの伝法肌の女は、あれは――」
「は、は、は」
と、土方が高らかに笑い、
「松坂屋の一件ですか」
と沖田からたずねられて、土方が笑いながら、そうだとも、そうでないとも言いません。
 そうだとも、そうでないとも言わないのは、つまり黙認の形です。
 たずねてみれば、この連中としてはたあいのないことでした。
 土方歳三が、武州日野在から出て、上野の松坂屋へ丁稚奉公《でっちぼうこう》に入れられたのは、十六七の頃でもあったろう。歳三だから、歳どんとして丁稚をつとめているうちに、その女中の一人といい仲になってしまった。
 歳三は右に言う如く、小柄で、色が白く、それにお洒落《しゃれ》ときているから、女の方が夢中になって、とうとうお腹がせり出してしまった。そこで、もう袖でも隠せなくなって、切れるの切れないの、死ぬの生きるの、やいのやいのという沙汰《さた》になると、さすが後年の新撰組の豪傑も、生ける空とてはなかった。それを口を利いてやっと捌《さば》きをつけてやったのが、男の方では佐藤という土地の幅利《はばきき》、女の方ではここに現われた女興行師のお角さん。その弱味を抑えられているから、さすがの豪傑もいささかテレている。こういうたあいない話をしながら二人は、湖面から来るなごやかな風に面を吹かせて、大津の方面に向って急がせて行く。なお残された新撰組の隊士は、いったん山王下に留っていたが、徐々に叡山《えいざん》へ向ってのぼりはじめました。

         百八十一

 一方、山王様へ参詣の道すがら、お角は狐につままれたような感じがしている。
 新撰組というから、鬼を膾《まなす》で食うような豪傑ばかり集まっているのかと思っていると、豈図《あにはか》らんやその大将が、歳どんであろうとは……
 そもそも歳どんなるものは、江戸近在の田舎《いなか》から出て来た小僧だとは聞いていたが、その身許なんぞは、今日が今日まで少しも聞いてはいなかった。
 わたしが知ってからの歳どんは、上野松坂屋へ丁稚奉公をした生意気でおしゃらくな歳どんからはじまる。よくあることで、女中と出来合って悶着《もんちゃく》が起ったのを、男の方は何とかいう、あっちの堅気の名主様かなにかが出て、あやまったし、女の方はわたしが頼まれて口を利いてあげただけの縁なんだが、その歳どんが、新撰組の頭《かしら》になっていようとは、全く夢に夢を見るようだ。兄貴がエライのかも知れないが、当人だって、馬鹿ではあの役はつとまるまい。馬鹿どころか、あの子はあの時分から、目から鼻へ抜けるような子だったねえ。働きもあるだろうが、行末が思われる――と、よけいな心配をしてやったが、あの色男が新撰組の頭になろうとは、わたしも思いがけなかったねえ。なにしろ、いい面になったものさ。おかげで、わたしもなんだか急に肩身が広いような気になってしまった。京都へ行ったら、ぜひひとつ、訪ねてみることだねえ、魔除けになるかも知れない。
 魔除けといえば、お前さん、いつのまにか、あのいやがらせ[#「いやがらせ」に傍点]の三ぴんやよた者の姿が見えなくなった。笑わせやがらあ、わたしが新撰組の頭と近づきだと知ったもんだから、逃げたんだよ。
 お角も、そこで、今までの鬱気《うっき》が晴れて、いい気持になりました。
 それから帰るまでのお角さんの身辺には、不思議に例のいやがらせの三ぴんや、よた者が近づきませんでした。それは、お角さんの察しの通り、お角が新撰組の大将となれなれしく口を利いたばかりか、かえって、それを呑んでかかるのに、新撰組の大将が頭を掻《か》いて閉口気味なのを、物蔭から見て取った三ぴんやよた者が、面《かお》の色を失ったというわけであります。
 この女は、新撰組を一枚上に行く、途方もない代物《しろもの》だと、尾を捲いて逃げたものと思われる。
 前にしばしば言うが如く、お角さんは天下の形勢に暗いし、土方歳三に就いても、歳どんの変形であるとだけしか知らないために、大胆でありました。
 それからのお角さんは、全く肩身の広い気持になって、山王様へも晴々しく参詣をして同行の一座をよろこばせ、さんざんによきピクニックを楽しんで、そうして、また、唐崎浜に待たせてあった舟に乗って、大津へ戻って来ました。
 その間、全く無事です。三ぴん、よた者、ばくち打、駄折助のたぐいは、影も形も見せなくなりました。
 お角さんとしても、新撰組は大した魔除けだと考えずにはおられません。
 宿へ帰って見ると、留守中に再三、使の者があって、お帰りになったら早々お目にかかりたいとのこと。
「誰だろう、道庵先生か知ら」
とお角が案じて、その置手紙を読ませてみると、
「おやおや、これは大変、甲州の大旦那がおいでになったんだよ」
 甲州の大旦那とは、お銀様の父、藤原の伊太夫のことであります。

         百八十二

 宇治山田の米友は、当人の望みに任せて、弁信法師をひとり多景島に残して置いて、小舟をもとの長浜へ向けて漕ぎ戻しました。
 その帰る路すがら、米友は、世間にはずいぶん変った小坊主もあればあるものだと思いました。御当人自身が、かなり変った人間であることを棚に置いて、弁信というものの存在が、いかにも奇妙に感ぜられてたまらないのです。
 しかし、米友が、弁信を竹生島《ちくぶじま》へ導こうとして、誤って多景島へ漕ぎつけてしまったのは、もともと一片の義侠心といったようなものからの出発で、本来の目的でも、予定の行動でもありませんでした。
 この男、本来の道程としては、道庵先生のお供兼用心棒として、江戸から中仙道を木曾にとって、上方のぼりをして、ここまで来たというのが本筋なのでありました。それが関ヶ原まで来て、お銀様のために無心され、道庵先生も退引《のっぴき》ならず、この唯一無二の用心棒を割愛して、お銀様の所望に任せたという次第ですが、道庵先生としても、米友を失うと同時に、お角さんを得まして、お角親方一行と、これから上方筋を同行することにして、お角は上の如く大津に宿って、わざわざ八景めぐりをしながら、胆吹山へ紛れこんだ道庵先生の来《きた》り会するのを待ち受けているという次第です。
 そこで、米友は当分、お銀様の胆吹王国にいて、その事業の一部分を助ける、という役廻りから、長浜へ下りて来たこともこれで二度目です。最初の時は、新植民地に要する生活要品を買いととのえる荷駄《にだ》の宰領として頼まれて、明るく長浜へ下りて来ました。
 今度のは、それと違って、一夜、机竜之助
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