かせられてみると、事実、如何とも致し難いものがある。
新撰組の統制は、内に対しては「死」であり、外に向っては「殺」である。
組の統制を紊《みだ》り、その面目を損うものに向っての裁判は「死」のほかの何物もない。組の当面に立ち、その使命を妨ぐるものに向っての手段は「殺」のほかの何物もない。
故に、敵に対して惨酷なるが如く、味方に対しても峻烈である。
女と通じたというだけの理由を以て、切腹させられたものもある。その攘夷論《じょういろん》があまり激烈に過ぐるという廉《かど》を以て、腹を切らせられた同志もある。金銭上の疑いをかけられて直ちに詰腹《つめばら》となったり、いささかも脱隊の形跡があれば直ちに死を与えられる。他藩に内通の嫌疑あれば勿論のこと、巷《ちまた》で私闘を行っても、若《も》し相手を殺さずして帰れば内に「死」が待っている。
近藤勇の新撰組は、内に対してかくの如く峻厳であって、同時に、外に向ってなんら怖るるところがない。たとえば、会津の藩の如きでも、京都守護職の大任を受けておりながら、藩士の一人が僅かに土佐藩の一士人を傷つけたという事情のために倉皇狼狽《そうこうろうばい》して、この際土佐の御機嫌を損じては、いかに幕府の不利であることよとの懸念から、苦心惨澹を極めたことがあるが、天下素浪人の新撰組に於ては、左様な頓着や遠慮は更にない。大藩であれ、親藩であれ、斬ろうとするものを斬ることに於て、なんらの忌憚《きたん》を持っていなかったのです。
大阪奉行の中に、内山彦次郎という与力《よりき》があった。大塩平八郎以来の与力ということで、頭脳《あたま》もよく、腕もよく、胆もあり、骨もあって、稀れに見る良吏であったということである。従って新撰組の横暴に対して、快かろうはずがない。たまたま八軒屋の岸で、新撰組が相撲取と大喧嘩をして、相撲取を斬って捨てたという事件がある。
隊長の近藤勇は、自身、町奉行に出頭して、無礼討ちのことを届け出でたが、待っていたといわぬばかりに内山彦次郎が、近藤勇を呼び留めて、奉行与力の職権で厳重に取調べたものである。近藤勇は、これがグッと癪《しゃく》にさわった。一応の届出に対して、直ちに相当の会釈あるべきものと信じていた小役人が、ほかならぬ新撰組の隊長に向って逆捻《さかね》じとは意外千万、近藤勇は、傲然として、
「拙者は無礼討ちの届出に来たものでござる、貴殿の取調べを受けるために出頭したものではござらぬ、取調べの廉《かど》があらば会津侯へ申し伝えられい」
と言い捨てて、さっさと立帰ってしまった。
まもなく、内山彦次郎は、天神橋の袂《たもと》で、駕籠《かご》に乗って帰る途中を殺されてしまった。
何人といえども近藤勇に含まれることは、すなわち殺されることでありました。
百七十六
それと、もう一つ――京都の巨椋《おぐら》の池で、鳥を撃ったものがある。ここは伏見奉行の管轄で、御禁猟地になっている。いまだ曾《かつ》て何ものも、この辺で発砲を試みた無法者はない。果して、その禁猟の禁を破って鳥を撃ったものは、新撰組の手の者に相違ないという事実がわかった。
事実はわかったけれども、新撰組では仕方がない、全く相手が悪い――さりとて、捨てて置いては今後が思われる。そこで伏見奉行の与力で、横田内蔵允《よこたくらのすけ》という硬骨な役人があって、部下の同心に命じて、とうとう犯人として新撰組の一人、後藤大助という者を捕えさせて、厳重に次の如く申し渡した。
「この巨椋の池の御留場《おとめば》は、単に伏見奉行の意志で禁止しているのではござらぬぞ、畏《かしこ》くも禁裡または公儀へ、その折々の鳥類献納の御料地として、公儀より伏見奉行がお預りいたしている土地でござるぞ。その辺のことを御存じなき新撰組の方々でもござるまい、知って、而《しか》してわざとそれをなさるは言語道断である。守護職、並びに所司代へもお届けの上、屹度《きっと》処分いたす故、左様心得られたい」
この申渡しに対しては、新撰組といえども抗議の申しようがなく、同道者に於て種々申しわけをしてようやく一時釈放ということになったが、まもなく横田は、その邸内へ侵入した暴漢のために殺されてしまった。
警察と裁判の権威者に向ってさえこれである。国々の脱藩浮浪の徒の如きは、もとより眼中にない。池田屋騒動に於て、諸国浪士の精鋭を一網打尽し去ったことは誰も知っている。
ことに残忍|悽愴《せいそう》を極めたのは、山陵衛士に転向したいわゆる高台寺組に対する、彼等の復讐ぶりの徹底的なことであった――それを書いていると長い。
いずれにしても、新撰組の息のかかったものには、領主といえども、奉行といえども手がつけられない。
さりとて、彼等といえども、必ずしも残忍のために残忍を弄《ろう》するのではない。こうして斬捨てにして置けば、その一味の者共が、見るに忍びないで、必ず死骸を収拾に来るにきまっている。それを待構えて更に一網打尽を試むる――いわば、囮《おとり》のためにわざとこうして放置しておくという政略もあったのです。
天下の大勢を知らない女軽業の親方お角さんは、毒を以て毒を制する、時にとっての政略を知らない。ただ残忍と殺伐の点ばかりを見せつけられて、一途《いちず》に新撰組を憎いものと思い込みました。天下非常の時は、非常の手段を要するものだということに同情が持てないで、ただ、非常の手段のみを常道の眼からみて、そうしてその非常手段に反感を加えたがるのは近視眼者流の常だが、お角さんもまたその点に於て御多分に洩《も》れず、心に深く新撰組を憎み、同時に、ああして曝されて置かなければならない、いずれ名ある勇士たちの屍《かばね》の恥辱に、若干の同情と、義憤とを催している時分、
「ああ、あれ、あれ、新撰組の皆様がお見えになりました」
この声で、集まっているすべての人の血が凍り、あたりの立木までが、鳴りをしずめて凝結してしまったようです。
見れば戞々《かつかつ》と蹄《ひづめ》を鳴らして、馬を打たせて来る一隊の者があります。
百七十七
右の恐怖の一隊が現われたと見ると間もなく、山王の森蔭に隠れてしまいましたから、この席のものも生き返ったようにホッとして、暫くあって、また噂話《うわさばなし》に花が咲き出しました。
その要領は、
「あの、馬に乗った隊長様の脇においでの若いのが、あれが沖田総司様と申しましてね、小太刀《こだち》をとっては小天狗といわれる名人なんです、あの若い方と、それからもう一人、永倉新八様とおっしゃるのと二人で、あの相手の六人を瞬く間に斬ってしまいました。新撰組の方も十何人おいでにはおいででしたが、専《もっぱ》らお働きになったのはあのお二人です、ことに、あの沖田総司様の小太刀の使い方は見事なものでござんしてな、こうして、刀を伏せる、つつと進んで行って、ポロリと相手の小手を斬って落してしまいます、小天狗とはよく言ったもので、あの方は近藤隊長の秘蔵弟子だそうで、わざにかけてはあの人が第一だそうでございます。なんしろ、新撰組の方は、一人一人がみんなそれぞれ日本で指折りの使い手なんですから、たまりません」
「近藤隊長は、今年三十五の男盛りでございます、近藤隊長は精悍《せいかん》そのもののような面貌《かお》をしておりますが、副将の土方歳三殿は色の白い、やさしい男ぶりでございます、沖田総司様も同様――ほんとうにあんな弱々しい二才風であって、よくまあ、ああも巧妙に剣が使えたものでございますなあ」
沖田総司のことが、主としてここで話題の人気になってくる。まことや沖田は近藤門下の飛竜であって、小太刀を使わせての俊敏、たとうべくもない。近藤、土方の片腕と恃《たの》まれて、実戦の場数をあくまで経験している。その早業の人目を驚かすこと宜《むべ》なりと言いつべし。痛ましいことには、この天才的剣士は当時肺を病んでいた。呼吸器を日に日に蝕《むしば》まれながら、剣は超人的に伸びて行ったが、この翌年、その肺病のために、この男のみが畳の上で死ぬようなことになるとは、一層の悲惨である。
立ちかけたお角さんが、そういう噂話を聞いているうちに、後から、のそりのそりと漸く至り着いたところの、お角さんいやがらせ[#「いやがらせ」に傍点]の一行――即ち三ぴん、よた者、折助、安直のならず者の一行であります。
この時分になって、ようやくこの場へのさばり着いて、そうして、着くと早々、お角さんの方へいやな眼をつかって、キザな笑い方をしながら、またもその鼻っ先へ盆蓙《ぼんござ》を敷いてしまいました。
またしてもここで、丁半、ちょぼ一、南京《ナンキン》ばくちをはじめて、江戸ッ児のお角をいやがらせようというたくらみに相違ないが、その時、またも店の中がざわめき渡って、
「あ、また、新撰組のお方がおいでになった」
「ナニ、新撰組!」
「真先においでになるのが、あれが、新撰組の副将、土方歳三様でございます」
「ナニ、土方」
「その次のが、今お話の沖田総司殿!」
「ナニ、沖田!」
新撰組の名を聞いて、一口上げに狼狽周章を極めているのは、例のその三ぴん、よた者、折助、ならず者――お角さんいやがらせ[#「いやがらせ」に傍点]の盆蓙連であります。
百七十八
彼等は思いがけなく新撰組の名を聞いて狼狽し、慄《ふる》え上り、ついに面《かお》の色を失って早々に盆蓙をふるい、こそこそと逃げ隠れてしまいました。
以前からここに控えていた連中は、またグッと引締ったけれども、よた者連のように逃げ隠れはしませんでした。
お角さんに至っては、以前いうが如く、天下の形勢に暗いから、新撰組であろうと、古強者《ふるつわもの》であろうと、そう無暗に捕って食おうとはいうまい、土方が来ようと、沖田が来ようと、こっちの知ったことじゃないという腹があるから、左様にわるびれた色はなく、とにかく今日は新撰組へ挨拶に来たわけではなく、山王様へお参りに来たのだから、早くそちらの方へ罷《まか》り出るのが至当の礼儀だと思って、お茶代も相当にはずんで、
「さあ、行きましょう、山王様へお詣《まい》りをして、さっぱりと清めていただきましょう、今日は厄日《やくび》のようだから」
こう言って一行を促し立てた時分に、新撰組の一行十余人が、粛々《しゅくしゅく》としてこの茶店に入って来ました。
最初見た時は、大将の一人が十余人を従えて、馬で乗りつけて来たようでしたが、今は馬をば多分その辺に乗捨てて置いて、大将も同勢と共に徒歩《かち》になって、粛々とここまで練って来ました。
「ウヘヘ、土方隊長様」
「これは、沖田先生」
「永倉先生――」
お角以外の居合わせたものは、みな土下座をきってしまいました。
お角は、特別に、この人たちに土下座をきらなければならぬ理由を発見しません。そうかといって、人が畏《おそ》れ敬うものは、相当に会釈をしなければならないと思いましたから、土下座こそきらないが、相当に畏れ敬う素振りを示して、少々出立を控えておりました。
「どうだ、年番――来ないか、あの囮《おとり》をたずねて来る奴はないか、あれを取戻そうと騒ぐ気色は見えないか」
とたずねたのは、永倉新八でした。年番は恐れ入って、
「はい、どなた様も……まだ、一向」
「そうか、今日で三日になる、もう取片づけてよろしい」
「はい、畏《かしこ》まりました」
「このお方が、土方先生だ」
と言って、隊長を指して役々に永倉新八が紹介すると、
「ウヘヘヘヘ」
と言って、一同が拝伏してしまいました。
新撰組の隊長、鬼といわれる近藤勇が片腕、というより、骨肉というべき土方歳三が出向いて来たのだ。一同が恐れ入ったうちに、お角さんが、土方とはどんな男だか見てやりたい!
おや、思いの外いい男だねえ、色が白くて、優形《やさがた》で、なかなか好い男だ、新撰組というから、鬼からお釣を取るような男ばっかりだと思っていたのに、ホンに人は見かけによらないものだねえ。とお角は、それとなく横
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