に、「あんたはん、うだうだ言やはるな、ちゃア」に至っては、上方弁というものが本来、啖呵を切るには適していないので、お角さんが、うずうずして、どうにもこうにもならない。
 いかにぶしょく[#「ぶしょく」に傍点]渡世のやくざ者にしてからが、こいつはあんまり下等過ぎる。事と次第によっては、ぶしょく[#「ぶしょく」に傍点]渡世ほどかえって仁義が厚いもので、みだりに、こうして、素人衆《しろうとしゅう》のいる鼻っ先で、トバを開くなんてことはしないものである。こいつら、三下のうちでも、よくよく下等の奴だと、お角さんが腹にこたえながら観念の眼を以て見ているうちに、その丁半、ちょぼ一が、全く八百長であることを見てとりました。
 東西聯合のトバといえばすさまじいが、こいつら、真剣に勝負を争っているのではない、気合がウソだ、八百長だ、とお角さんが見てとると共に、八百長だとすれば、またおかしいじゃないか、いったい、何のために、ここまで来て、人の鼻っ先で八百長バクチをして見せなければならないのかと、考えているうちに、お角さんが、
「ハハン――」
と来ました。こいつら、誰かに頼まれて、いやがらせに来やがったんだよ。
 誰を、このお角さんをさ。いったい、お角さんに何の恨みがあるか知れないが、胡麻《ごま》の蠅めら[#「めら」に傍点]のするこたあ、江戸ッ子にゃわからねえのさ。笑わせやがらあ、今日はその手に乗らないよ。
 お角さんは、ついと立ち上って、一行の者に言いました、
「蠅虫が出て来てうるさいから、山王様へ行きましょうよ、山王様へ」

         百七十二

 お角さん一行が、急に毛氈《もうせん》を巻いてこの場を引払うと、南京バクチの一行が、つづいてまた盆蓙《ぼんござ》を引払って、一かたまりになって、ぶらりぶらりとお角さんの一行のあとをついて来る様子です。
 こいつら、いよいよあれだ、お角さんは、せせら笑いながら、ゾロゾロと予定のプログラムである山王様の方へ向って、ブラブラと進行をはじめますと、そうすると、右の安バクチうちの一行は、またブラリブラリと、お角さん一行のあとをつけてやって来る。
 ついて来やがるな、だが、お見受け申したところ、啖呵も切れないが、凄味《すごみ》も利《き》かない奴等だ、あいつらの器量では、せいぜい、いやがらせ[#「いやがらせ」に傍点]をしてみるくらいのもので、腕出しをするだけの度胸はない、万一、何か手でも出しゃがッたら、只は置かないよ、こういう時に、あの友兄いの奴でもいりゃ、思いきり眼にもの見せてやるんだが、なあに、あの辺のお安いところならば、このお角さんの一睨《ひとにら》みでたくさんだ――
 とお角さんは、充分にこいつらを見くびりながら、山王様の方へ進んで行きました。
 お角さんの見くびった通り、こいつらは、いやがらせ[#「いやがらせ」に傍点]以上のことを為し得る奴等ではないかも知れないが、そのいやがらせも、こっちの虫のいどころによっては、事が起らないとも限らない。
 こうして、お角さんは、送り狼だか送りよた[#「よた」に傍点]者だかわからない奴等に送られて、山王を目指して行きましたが、一行のうちの誰もが、お角さんのそんな腹の中には気がつかず、相変らず遊山気取りでブラリブラリと進んで行きました。
 ところが、まもなく、一行のすべてのこのいい気分が、ぶち壊されて、ふるいおののくような事件が出現したのは是非もないことです。それは、うしろから、例のよた者が、急にふるい立って殺到して来たわけではない。松並木になって、左右が畷《なわて》に続いている札場のところまで来て、
「ああ、怖《こわ》――」
と、殿《しんがり》として後ろにやや離れていたお角さんを別にして、一行の者が往手《ゆくて》をのぞんで立ちすくんでしまいました。
 見れば、その松並木の松の根方や往来へ半ばかかったり、畷道へのめったり、甚《はなはだ》しいのは、往還の真中へ重なり合った、人間の死骸の山です。
 みんな斬られている。どこを、どう斬られているかわからないが、無慮五六人の屍骸は、眼通りに斬り斃《たお》されて散乱している。しかも、斬られたこれらの人体《にんてい》を見ると、後ろからついて来ている送りよた[#「よた」に傍点]者の種類とは違って、いずれも、れっきとした武士姿である。それも、それぞれ充分に身固めをして、しかも、いずれも白刃を抜いて手にかざしたり、取落したりしたまま、右のように散乱と斬り倒されている。
 斬られたには斬られたに相違ないが、やみやみと斬られたのではない。斬る方も、斬られる方も、充分覚悟の上で、おのおの死力を尽して戦った結果がこれなのだ。数えてみると、六人が物の見事に斬られてはいるが、斬ったのは何者。それはわからないが、斬られて斬られっ放しで、収容する者がなく、たとえ若干の時間の間でも、青天白日の下に曝《さら》し置くとは、無惨の至りではないか。

         百七十三

 お角さん一行の先陣は、体をおののかせ、目をつぶって、はせてその屍骸の前を通り抜けて、遥かの彼方《かなた》へ、やっと落着きました。
 殿をつとめたお角さんだけが、足をとどめて、じっとその斬られぶりを熟視していたのです。
 一方に小屋がけをして、番太のようなのが控えている。それに向って、お角さんがたずねました、
「どうしたのです、これはまあ、惨《むご》たらしいねえ、どうして早く取片づけてあげないの」
「へへえ」
と番太が、おぞましい声で返事をしました。それをも、お角さんは、煮えきらない返事だと思って、
「お見受け申したところ、立派なお武家たちじゃありませんか、何はどうあろうとも、早くこのなきがら[#「なきがら」に傍点]を取片づけて、人前に曝さないようにしてあげなけりゃ、恥ではありませんか」
とお角さんが、事のあまりに無情なると、緩慢なるとに憤りを発して、こう言いますと、番太は、この女の人からお叱言を食う筋はないというような面《かお》をして、
「へへえ――ところが、どうも、お相手がお相手でござんしてな、お奉行も、お代官も、お手がつけられやしまへんさかい」
「なんにしても、いけませんね、こうして、一匹一人のおさむらいを、曝《さら》しものにかけて置くのは無慈悲というものなんです、なんとかしてあげられないものかねえ」
「それがその、お相手がお相手でござんしてなあ」
「相手が相手だって、お前さん、お上《かみ》のお手をお借り申せば、どうにかして上げられそうなものじゃないか」
「それが、その――このお武家をお斬りなはったのは、壬生《みぶ》の新撰組の衆でござりましてなア」
「え?」
「壬生の新撰組の御浪人衆が、この通りお斬りになりはって、どうも、はや、手がつけられやしまへんさかい」
「みぶ[#「みぶ」に傍点]のしんせんぐみ[#「しんせんぐみ」に傍点]ですって?」
「はい」
「みぶ[#「みぶ」に傍点]のしんせんぐみ[#「しんせんぐみ」に傍点]とは、どういうお方か存じませんが、たとえお上役人だって、人を斬って斬りっぱなしという法はありませんねえ、お斬りなさるならお斬りなさるように、作法というものがあるんでございましょう」
「それが、どだい、壬生の御浪人衆にかかっては、御城主でも、お奉行でも、どもなりませんさかい。当分、手をつけることならんと、新撰組の衆が、そのようにおっしゃりなはってな」
「わからないねえ」
 お角さんは、わからない事だと思いました。しかし、ここで番太を相手に争ってみたところで仕方がない、とお角さんも目をつぶって、この傍を通りぬけ、誰か、そこいらで、もう少し話のわかった人間がいたならば、とっつかまえて、なお委細を聞いてみようと思って、あちらに待受けている一行の者に追いつきました。
 お角さんのあとをつけて来た、いやがらせの安博奕打連《やすばくちうちれん》も、この場の死人の山には全く度胆を失って、一時、お角さんを追求することを打忘れて、慄《ふる》え上った様子です。
 お角さんは、誰ぞ話のわかる人をつかまえて、事の始終を聞いてみようと心がけているうちに、山王様の前へついて、一行と共に一つの茶店に憩いました。

         百七十四

 折よくその茶屋は、土地の年番《ねんばん》の会所になっておりました。つまり右の事件に関連して、土地の顔役が昼夜詰めきりの有様でしたから、事の一切が、わかり過ぎるほどよくわかりました。
 ただ、あれを斬って、斬捨てにして置くのは、新撰組の浪士に相違ないが、斬られて斬捨てられているのは何者だか、その点がまだはっきりしない。
 一説によると、新撰組の一部が仲間割れがして御陵守《ごりょうもり》になる、それを近藤の部下が追いかけて来て、あの通り斬捨てたのだという。もう一つの説は、あれは大津の藩士たちである。これよりさき、十四代将軍が上洛の時、膳所《ぜぜ》と大津との間に待受けて、将軍を要撃しようとした浪士連がある。その時に、危うく発覚して事なきを得たが、その余類があれである。それを新撰組がたずね出して斬ったのである。
 この両説のうちの、いずれかが真相であろう。或いはその両説が混線しているかも知れない。
 だが、お角さんの眼に不審とし、不服とするところは、むしろそれではない。
「ですが、お見受け申したところ、いずれも立派な御身分のお武家様たちと拝見いたしますが、あのままで、いつまでもああしてお置きなさるのはどうしたものでござんしょう、御検視が済みましたならば、一時も早く取片づけて、惨《みじめ》たらしいお姿を見せないようになさるのが武士の情けとやらではございますまいか、お武家でなくてもそうでござんすね、普通の人情としても、人間の亡骸《なきがら》なんぞは、見せものにすべきはずのものじゃございませんね」
と言ったのを、店の亭主が、手を挙げて共鳴するような、制御するような恰好《かっこう》をして、
「そ、それでございます、いかにも、おっしゃる通り、あれはあのまま、ああして置き申してはならんのでござんすが……それがなんでございますよ、新撰組のお方が、もう一ぺんおいでになるまでは、誰にも手がつけられないのでございましてね」
 お角さんは、その返答にも不満でありました。
「新撰組とやらのお方に、手がつけられなければ、土地のお代官様の方で、何とかならないものでございますか、この土地にも、御領主様や、お奉行様がいらっしゃるでしょう、そのお手でもって、何とかして上げて、あったらおさむらいの亡骸を、犬猫の屍体同様に、道路に曝《さら》して置きたくはないものでございますね、何とかして上げられないものでございますかねえ」
と、不満の上に、お角さんが浩歎《こうたん》すると、亭主も、村役も自分の事のように当惑した面《かお》をして、
「それが、その、御領主様のお手でも、お奉行様のお力でも、新撰組のお方がもう一ぺんお出ましになるまでは、どうにも手がつけられないんでございまして」
「それでは、御領主様よりも、お奉行様よりも、新撰組とおっしゃる方々の方が、御威勢が強いわけなんでございますね」
とお角さんが、なお中ッ腹で、押返してたずねてみますと、
「そ、それがその、御時勢でございますからな――」
 いずれも、深くそのことに触れるのを怖れるものの如く、言葉を濁しますものですから、お角さんが、いよいよ納得がゆきませんでした。

         百七十五

 一匹一人の侍を、ああして幾人も大道の真中へ斬捨てて、白昼野天の見世物に供して置いて、それに、領主も奉行も手がつけられない。新撰組なるもののいかに傍若無人で、横暴残忍を極むるの存在であるかに、お角さんも、決していい心持がしませんでした。
 しかし、泣く児と地頭には勝たれないというその地頭以上の勢力には、さすが気おいのお角親方といえども沈黙するよりほかはありません。
 右の不服不満は、お角親方に限ったものではない、誰でも同様に不快とし、不満として、あれを見ないものはないのです。ですが、それを如何《いかん》ともすることのできない事情の存することを聞
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