、将門石《まさかどいし》の上に立って、洛中と洛外とを指呼のうちに置きながら、物語りをしている三人の壮士。
そのうちの一人は南条力《なんじょうつとむ》であって、もう一人は五十嵐甲子雄《いがらしきねお》――この二人は、勤王方の志士であって、主として関八州を流浪して、他日の大事のために、地の理を見て置くのつとめを行いました。
ことに甲斐の地は、関東第一の天嶮であって、守るに易《やす》く攻むるに難い。天下の大事を為《な》すものは、まずこの土地を閑却してはならないと、かの地に潜入して、ついに幕府のために捕われ、甲府城内の牢屋に繋がれていたことは既記の通りであります。そうしているうちに破牢を遂行して、その行きがけの道づれに宇津木兵馬をも拉《らっ》して去り、はからず甲府勤番支配駒井能登守の邸内に逃げ込んだことも既報の通りであります。
こうして彼等は、相当の収穫を得て、東海道を上りがてらに、また要処要処の要害や、風土人情を察しつつ西上して来たことも、これまでの巻中に隠見するところであります。
そうして、ここへ来ると、二人が三人になっているのであります。南条、五十嵐のほかのもう一人は、やはり同じように髻《もとどり》をあげた壮士でありまして、才気|風※[#「三を貫いて縦棒、第3水準1−14−6]《ふうぼう》、おのずから凡ならざるものがあります。
思うにこの人物は、東の方から、南条と五十嵐との道づれになってここまで来たものではなく、むしろ、京白河の方面からこの叡山へ登って来て、多分、この辺で落合ったもの、それも偶然でなく、相当打合せがあって、ここを出会い場所とでも、あらかじめ定めて置いて、来《きた》り迎えたもののようであります。
この、京白河方面から、南条、五十嵐の両士を迎えて、ここで落合っているところの一人の壮士――それは無論、推定ですけれども――この壮士の風采は、今までには見かけなかったが、そうかといって、全然知らない面《かお》ではない。どこでか見たことのあるような男である。どうも見覚えのあるような面魂《つらだましい》――そうだそうだ、土佐の坂本竜馬だ、あの男によく似ている、見れば見るほど坂本竜馬に似ている。
坂本竜馬に似ているからといって、必ず坂本竜馬ときまったわけのものではない。当世の壮士の風俗には似通ったものが多い。風采にもまたよく似たものがある。またよく似たはずのものが全然別のものであったり、別のものであらしめるように工夫を凝《こ》らしたものもある。少しややこしいが――桂小五郎の如きも、桂小五郎に似ざらしめまいとして、大いに苦心していたものである。その代り、六尺駕舁《ろくしゃくかごかき》の中に桂小五郎に似たものの風※[#「三を貫いて縦棒、第3水準1−14−6]を発見したり、乞食非人の姿のうちに野村三千三を発見したりすることもある。そこで、この壮士が坂本竜馬であるか、才谷梅太郎であるか、そんなことは詮索《せんさく》しないで置いて、便宜のために、これをこの場に限り坂本竜馬の名で呼んで相対せしめることにする。
そこで、坂本竜馬は、四明ヶ岳の絶頂の巌の上の尖端に立って、京洛中を指して、何を言うかと見れば、
「今の京都は近藤勇の天下だよ、イサミの勢力が飛ぶ鳥を落している――会津よりも、長州よりも、薩摩よりも――豎子《じゅし》をして名を成さしめている、は、は、は」
百六十二
坂本竜馬がそう言ったことに対して、南条力が受答えました、
「壬生《みぶ》浪人、相変らず活躍しとりますかな」
「活躍どころか、今の京都は彼等の天下だ、敵ながら、なかなかやりおる」
坂本は、京洛の秋を見おろしながら言う。
「芹沢《せりざわ》がやられたそうですな」
と、今度は五十嵐が言う。
「うむうむ、芹沢がやっつけられて、近藤が牛耳をとっている、新撰組は、いま完全に近藤のものだ、配下の命知らずを近藤が完全に統制し得ているから、たしかに由々しい勢力だよ。ことに勤王の連中にとっては全く苦手だ、幕府を怖れず、会津を侮り、彦根を軽蔑する志士豪傑も、近藤の新撰組にばかりは一目も二目も置いて怖がるから笑止千万だ。そのくらいだから、京洛中では、それイサミがくると言えば泣く児も黙る、ああなると近藤勇もまた時代の寵児《ちょうじ》だ。あれを見ると、衰えたりといえども幕府の旗本にはまだ相当人物がいることがわかる」
と坂本竜馬が、いささか関東方を讃めにかかりますと、南条力が首を左右に振り立てました。
「いや、違う――近藤勇は、徳川の旗本ではないよ」
「どうして」
坂本竜馬がいぶかしげに南条力を見返りますと、
「勇は徳川の旗本じゃない」
「じゃア、譜代か」
「でもない」
「では、何だ」
と二人の問答の受け渡しがありました。
「あれは徳川にとっては、旗本でもなければ譜代の家柄でもなんでもない、いわば只の農民なのだ」
「えッ、近藤は幕臣じゃないのか」
「幕臣と見るよりは、農民と見た方がよろしい、本来、徳川家には縁もゆかりもない人間なのだ」
と南条力が答えました。坂本は、近藤勇そのものの名声は聞いているが、その素姓《すじょう》はよく知らないらしい。南条は、かなり明細に近藤の素姓を知っているらしい。というのは、東方をあまねく探索しているうちに、各方面を洗えるだけは洗っている。近藤勇の素姓についても、少なくとも坂本らの知らざるところを知っているらしい。
「そうかなあ、おれは、幕府生え抜きの旗本だとばっかり信じていたよ、いったい、どこの生れなのだ」
坂本から尋ねられて、南条は少々得意になり、
「あれは、武州多摩郡の出身だ」
「ははあ、武州か、じゃあ、江戸の圏内と言ってよかろう、幕臣とみなしてもいいじゃないか」
「江戸の幕臣とみなされることは、彼の名誉とするところじゃあるまい、むしろ、彼は武蔵の国生え抜きの土着の民ということを、本懐としているに相違ない。何となればだ、今の徳川の旗本にはあれだけの男を産み得られないのだ、智者はある、通人はある、アクは抜けている、だが、今の徳川旗本にはあの蛮勇がない、勝《かつ》のような滅法界の智者はいる、山岡鉄太郎がどうとか、松岡万《まつおかよろず》がこうとか、中条なにがしがああのと言うけれど、皆、分別臭い、問答無用でやっつける奴がいない、皆、利口者になり過ぎている、原始三河時代の向う見ずは一人もいないのだ。近藤勇に至ると、それらと類型を異にしている、人を殺そうと思えば、必ず殺す男だ」
百六十三
南条の言葉を聞いて、坂本も頷《うなず》きました。
「そいつは拙者も同感だ、三百年来の徳川、智者も、勇者も、相当にいないはずはなかろうが、要するにみな分別臭い、蛮勇がない、三河武士の蛮骨が骨抜きになってしまっている」
「近藤が用いられるのもそこだ、たとえばだ、彼は剣客として相当の腕は腕に相違ないが、それは当時二流と言いたいが、三流四流どころだろう、彼は天然理心流というあんまり知られない流名を学んで、市ヶ谷あたりに、ささやかな道場を構えていたものだが、それも、千葉や、桃井《もものい》や、斎藤に比ぶれば、月の前の蛍のようなものだ、はえないこと夥《おびただ》しいが、さて真剣と実戦に及んでみると、あれだけの胆勇ある奴はあるまい。山岡鉄太郎などをいやに賞《ほ》める奴があるが、要するに、あれは分別臭い利口者だよ、暴虎馮河《ぼうこひょうが》のできる男でもなければ、身を殺して仁を為せる男でもない。そこへ行くと、我輩はむしろ敵ながら近藤の蛮勇をとるよ。近藤や土方《ひじかた》は、討死のできる奴だが、勝や山岡を見てい給え、明哲保身とかなんとかで、うまく危ないところを切り抜けて、末始終は安全を計る輩《やから》だから見てい給え、我輩は、勝や山岡流の智勇よりは、近藤土方流の愚勇を取るよ――そうして、勝や山岡は、祖先以来禄を食《は》む幕臣だが、近藤、土方は、今いう通り幕府に養われた家の子ではないのだが、古来の坂東武者の面影は、寧《むし》ろああいうところに見る。本当に強い奴は旗本にはいない、田舎《いなか》にいる、武蔵相模の兵だけで、日本六十余州を相手として戦えると大楠公《だいなんこう》も保証している、その武蔵相模の土着の蛮勇の面影は、あの近藤、土方あたりに見られる! 幕臣は駄目だ」
南条は、自分が親しく観察して来たところを、雄弁にぶちまけると、坂本も頷いて聞いていたが、
「それは近藤自身も言っているよ、『兵は東国に限り候』と手紙に書いてあるのを見たことがある。近藤あたりから見ると、さしも西国の浪士共でも食い足りない、甘いものだ――と見ている」
「そうだろう。だが、東国といっても、江戸という意味じゃない。そこへ行くと、近藤、土方を出した武州多摩郡の附近は一種異様な土地柄で、往古の坂東武者の気風が残っていて、そこへ武田の落武者だの、小田原北条の遺類だの、甘んじて徳川の政治に屈下することを潔しとせざる輩《やから》が土着し、帰農した、だから、どこの藩にも属していない、天領ということになっているが、他の天領とも趣を異にしている。いったい、徳川家康は、甲州武田を内心大いに尊重していたものだ、武田亡びて後、その遺臣を懐柔するために、千人同心というのを、その武州多摩郡の八王子宿に置いて、日光の番人だけをすればいいことにして置いた、そういうわけで、この辺の人気は藩によって訓練されていない、従って、人間に野性が多分に残っている――アクを抜かれ、骨を抜かれてしまった三河武士とは、全く別類型にいるのだ」
「なんにしても、近藤一人がこの都大路に頑張っていると、相当命知らずの天下の志士豪傑連が、オゾケをふるって、出て歩かれないのが笑止千万だ――こうなると、彼もたしかに英雄的存在である」
坂本がこう言った途端に、後ろの方で不意にゲラゲラゲラと笑う声がしました。
百六十四
この頓狂な笑い声に、三人の者が驚いて見返ると、ついその足もとの岩角から、ひょっこりと一人の男が現われているのを見ました。
おや、道庵先生ではないか――と、知っている者は一時、驚かされるほどに風采が似ておりました。
但しその道庵先生でないことは、頭が慈姑《くわい》でなく、正雪まがいの惣髪《そうはつ》になっている。道庵先生よりもう少し色が黒く――皮肉なところは似ているが、あれよりまた少々下品になっている。それに酔っていることは確かだが、道庵先生のは酒に酔っている、この男は酒よりも、いささか自己陶酔にのぼせ加減で、うわずっている――これぞ誰あろう、一名|四谷《よつや》とんび[#「とんび」に傍点]という一味の通人でありました。
四谷とんび、略称してよたとん[#「よたとん」に傍点]ともいう。道庵の向うを張って、その上方征伐に相当《あいあた》るべく選ばれた江戸ッ児の一人でありました。いつのまにここへ登っていたか、或いは三人が来る以前に、その岩蔭で昼寝でもしていたのか、とにかく、三人が意気込んで、右のところまで談論を続けて来た時分に、突然、途方もなく締りのない声でゲラゲラゲラと笑い出したものです。
「お前さんたち、買いかぶっているよ、イヤに近藤勇を買いかぶっておいでなさる」
こう言って、自惚《うぬぼれ》の強い赤ら面《がお》をかがやかせて、のこのこと近づいて来るものですから、こいつ一応の挨拶もなく、突然に横合から人の談論にケチをつけ出す、無作法千万な奴だ、失敬千万な奴だ、と三人の壮士は甚《はなは》だ不興の体《てい》でしたけれども、見れば相当老人でもあり、のぼせ者でもあるらしい。まじめに取合うも少々大人げないと、
「何だ、何です、君は。突然に人の話の中へ喙《くちばし》をいれて、無礼ではないか」
と五十嵐甲子雄が、かりにたしなめてみると、のぼせ者の老人は一向ひるまず、のこのこしゃあしゃあとして、
「お前さんたち、近藤勇を買いかぶっていますよ。実はね、わっしもその近藤勇とは同郷のよしみがござんしてね、あいつは、武州八王子の近いところ、甲州街道筋の生れでござんして……」
たずねられもしないに、よ
前へ
次へ
全56ページ中45ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング