けいな口を利《き》き出して近づいて来る。五十嵐がむっとして、以前より少々厳しく、
「ナニ、君が近藤勇の同郷であろうとなかろうと、こっちの知ったことじゃあない、それがために近藤の人物が上下されるわけのものじゃあない、よけいなことを言わっしゃるな」
と言いますと、よたとん[#「よたとん」に傍点]先生はのぼせきっているものですから、
「違いますよ、お前さんたち、あんまり近藤勇を買いかぶるから、それで、ついそんなことになっちゃうんでげす、なあに、近藤勇なんて、たいした人間でもなんでもありゃしねえ、あんなのを買い被《かぶ》って、今の時代の寵児《ちょうじ》かなんかに祭り上げてしまうから、こんなことになるんでげす、同郷のよしみで、わっしゃ気恥かしい、なあに、みんなコレですよ、コレで動いているんでげすよ」
と言って、指で阿弥陀様のするように、丸い形をつくって見せて、下品な笑い方をしました。誰も、変な先生だと思わないわけにはゆかないでしょう。仮りにこの男が近藤勇と同郷人として、同郷人ならば相当花を持たせて然《しか》るべきものを、聞かれもしないに、頭から罵倒してかかっている。罵倒を丸出しにしてかかっている変な奴ではないか。
百六十五
三人の壮士も、全くこのよたとん[#「よたとん」に傍点]を変な奴だと思いながら、黙ってその形を見ていると、よたとん[#「よたとん」に傍点]先生は、例の阿弥陀様のするような、指で丸い形をこしらえて三人の前へつきつけて、繰返して言いました、
「みんな、コレでげすよ、これで買われて働いているお雇い壮士なんでげすよ。いいかね、今の徳川家には、ああいって人斬り商売をするような人体《にんてい》がないんでげす、ところで、命知らずの無頼者を、金で買い集めてやらせるんでげす。最初、新徴組が出来やした時には、一人前五十両のお仕度金が下され、それで都合五十人の命知らずを集めて、幕府の用心棒としたものでげす、一人頭に五十両、五十人で都合二千五百両――聞くところによりますと、目下は、その新徴組が新撰組となって、専《もっぱ》らその近藤勇に牛耳られているそうでげして、手下も三百人から集まっているそうでげすが、ああして乱暴を働いて、たんまり儲《もう》かるそうでげす。公方《くぼう》から下し置かれる内々の御褒美金てやつが、生やさしいものじゃげえせん、そこへ持って来て、月々のお手当が、隊長は新御番頭取の扱いとして月五十両――副長は大御番組頭として月四十両、平の隊員でさえも、大御番並みに扱われて月十両ずつ貰える――たいしたものじゃがあせんか。今時、就職難で、相当の経歴ある先生が口に困っている時節に、箸にも棒にもかからぬならず者が、人は斬り放題でいて、そうして、これだけのお手当にありつける、なんとうめえ商売じゃげえせんか、万事コレでげすよ」
よたとん[#「よたとん」に傍点]は、いよいよ指を丸めて、三人の眼先につきつけて来た物ごしが、たまらないほど下品です。あんまり下品で露骨だから、さすがの三人の壮士も、口をつぐんでいると、なお、いい気になったよたとん[#「よたとん」に傍点]は、
「ですから、あいつらは有卦《うけ》に入《い》ってるんでげしてね、祇園島原あたりで、無暗に持てるというから妙じゃげえせんか。あいつらはあれで東男《あずまおとこ》には相違があせんが、京女に持てるという柄じゃがあせん、つまり、コレでげすよ、コレの威光で持てるんでげす。大将の近藤なんぞも、島原から綺麗《きれい》なのを引っこぬいて、あちらこちらへ手活《ていけ》の花としてかこって置くというじゃがあせんか、うまくやってやがら」
四谷とんびが、指で丸い形をこしらえながら、こう言って狂い出したものですから、三人の壮士も、もう黙って聞いてはいられなくなって、南条力が、
「これこれ旅の老人――君はどなたか知らんが、近藤勇の同郷とか名乗っておられる、それでどうして、さように近藤の棚卸しをするのだ、もとより近藤だとて聖人君子ではないが、君のいうところによると、一から十まで金銭で動く無頼漢としか映っていないようだ、拙者も知っているが、近藤はそういう下品な人物ではない、彼の書いた書もある、詩もある――
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百行所依孝与忠(百行の依る所は孝と忠となり)
取之無失果英雄(これを取つて失無くんば果して英雄)
英雄縦不吾曹事(英雄は縦《よ》し吾曹《わがそう》の事にあらずとも)
豈抱赤心願此躬(豈《あに》赤心を抱いて此の躬《み》を願はんや)
[#ここで字下げ終わり]
立派なものじゃないか、志も正しいし、謙遜の奥床しさもある、書もなかなかよく書いていた、天晴れの豪傑だ。それを貴様は同郷人だと言いながら、言語道断にこき卸す、奇怪《きっかい》な奴だ――」
百六十六
南条力がこう言ってよたとん[#「よたとん」に傍点]を睨《にら》みつけると、五十嵐甲子雄も、おさえ難い義憤を感じていたと見えて、
「いかにもいかにも、あれだけの人物を、単にただ日傭取《ひようと》りのお雇い壮士のようにこき卸すのは、近藤に対する侮辱のみではない、天下の豪傑に対する冒涜《ぼうとく》だ。単に金が貰いたいだけで、あれだけの働きができるか、そこには意気もあり、然諾もあり、義勇もあり、犠牲の念もあって、身を忘れて許すものがなければできることではない。それを貴様は、単に金銭目当てだけで動いているようにこき卸している。我々は近藤の同志ではない、むしろ、彼等が跋扈《ばっこ》して、勤王の志士を迫害することを憎み憎んでいる者なのだが、さりとて彼等の胆勇は敵ながら尊敬せざるを得ん、幕臣旗本がおびえきって眠っているうちに、彼等だけが関東男児の意気を示していることは敬服に堪えんのだ。然《しか》るに貴様は同郷であると言いながら、勇士をさように侮辱する、許し難い、その指の恰好《かっこう》はそりゃ何だ」
よたとん[#「よたとん」に傍点]が阿弥陀様のするような変な形をしていた指先を、五十嵐がそのまま逆にとって捻《ね》じ上げました。
「アイテテ、アイテテ」
よたとん[#「よたとん」に傍点]は非常に痛そうな面《かお》をしてもがく。五十嵐も、少々の痛みを与えてやるだけのつもりであったものですから、そのまま突き放すと、よたとん[#「よたとん」に傍点]がよろよろっとよろけました。
口ほどにもなく、あんまり弱腰だものですから、五十嵐もいたずら心が手伝って、つい弱腰をはたと蹴ると、よたとん[#「よたとん」に傍点]は、
「あっ!」
とひっくりかえると共に、急勾配になっていた草原を、俵を転がすようにころころと、とめどもなく転がり落ちて行くのです。
しかし、ここは落ちたところでカヤトのスロープで、千仭《せんじん》の谷へ転がるという危険はないから、笑って見ている。
坂本竜馬は、転がり落ちて行くよたとん[#「よたとん」に傍点]の姿を、憫笑《びんしょう》しながら言いました、
「とんだ剽軽者《ひょうきんもの》である、変な出しゃばりおやじもあったものだ、近藤勇の同郷人だと口走っていたようだが、世間には、自分の同郷人だと見ると、無暗に賞《ほ》め立て担ぎ上げて騒ぐ奴と、それから、今のおやじのように、ムキになってコキ卸して得意がる奴がある。たとえば薩摩というところは、よく一致して同郷人を担ぎ上げたがるところで、あすこへ生れると、さほどの人物でない奴でも、郷党が寄ってたかって人間以上に箔《はく》をつける、あの一致する気風は薩摩の長所だ。それと違って、同郷だというと、むやみに啀《いが》み合い、ケチをつけたがる風習の土地柄がある、たとえば、水戸の如きは、あれだけの家格と人物を持ちながら、到底一致することができない、奸党《かんとう》だ、正義派だ、結城《ゆうき》だ、藤田だと、始終血で血を洗っている、薩摩あたりに比べると絶大な損だ。わが土佐の如きも……」
と言っただけで、坂本はその説明をしませんでした。
「なんにしても、ああいう下品な奴に、指で丸をこしらえられてコキ卸されては、天下の豪傑もたまらん」
と五十嵐が冷笑しながら、よたとん[#「よたとん」に傍点]の落ち込んで行った草原を見つめておりました。
ころころと転がって行ったよたとん[#「よたとん」に傍点]の姿は、もう見えなくなっている。ここは安全なカヤトのスロープとは言いながら、多少気がかりにならんでもない。どう間違っても怪我はないところであるが、少々薬が利き過ぎたかとも思っているようです。
百六十七
よたとん[#「よたとん」に傍点]先生が蹴落されて、勾配の急な草原を、ころころととめどもなく転がり落ちて、落ちついたところに、金茶金十郎が立小便をしておりました。
よたとん[#「よたとん」に傍点]と金十郎とは、同行してこの叡山に登って来たのですが、金十郎がちょっと用足しをしている間に、よたとん[#「よたとん」に傍点]の方が一足先に、この頭上間近の岩角に居睡りをして、もしもし亀さんをきめこんでいたのです。
あとから来た金十郎は、これから頂上なるよたとん[#「よたとん」に傍点]に追いつこうと思って、そこらあたりでちょうど立小便をしておりました。
その金十郎が、なにげなく立小便をしている頭上へ、思いがけなくも懸河の勢いで落ちかかって来たものがあるのですから、金十郎も驚き且つ大いに怒らざるを得ません。
「誰だ、何奴だ、何奴なれば拙者頭上をめがけて、なんらの先触れもなく――奇怪千万《きっかいせんばん》、緩怠至極《かんたいしごく》!」
こう言ってわめき立てた時は、無惨や、その頭上から、よたとん[#「よたとん」に傍点]の全身をひっかぶってしまったものですから、一たまりもなく同体に落ちて、それからは二つが、組んずほぐれつより合わされて、なお低く転がり落ちて行ったが、幸いにしてとある灌木の木株のところへくると、そこにひっかかって漸く食いとまることができました。
「あッ!」
「あッ!」
と双方とも、まず、そこで食い止められたことによって、生命《いのち》に別条のないことを認識しつつ、ほっと安心の息をつくと共に、
「これはこれは、よたとん[#「よたとん」に傍点]先生ではござらぬか」
「いや、これは金十郎殿」
という面合せになりました。二人は痛い腰をさすりながら、まず以て生命に別条のなきことをよろこび、それから、金十郎が、
「これはまた、いかな儀でござる、よたとん[#「よたとん」に傍点]先生!」
たずねられて、よたとん[#「よたとん」に傍点]が、
「これこれ斯様《かよう》なる仕儀、無学|蒙昧《もうまい》の後輩を、故実の詮議によって教え遣《つか》わそうと致したところ、無法とや言わん、乱暴とや言わん……」
それを聞くと、こらえかねた金茶金十郎が、
「いで、その無学蒙昧なる若輩共、この金十郎が取って押えて目に物見せて遣わさん、いざ、案内《あない》さっせい!」
にわかに立ち上って、力足を踏み締めて、四明ヶ岳の上高く睨みつけました。
その形相《ぎょうそう》を見ると、よたとん[#「よたとん」に傍点]が、これはいけないとさとりました。さすがに、そこは老巧で、通人のことであるから、ここで金十郎を怒らして、三人の壮士に喧嘩をしかけさせては事重大とさとりましたのと、それから、自分の腰骨がたいそう痛むので、それらを便りにいきり立つ金十郎の出足をなるべく後《おく》れしめようと企《たく》らんだものです。
それがために、さすが勇気満々たる金十郎も、同行の先輩を振捨てて仕返しに行くというわけにもゆかず、空しく恨みを呑んで、よたとん[#「よたとん」に傍点]の介抱に当り、ついに、これを自分の背中に引っかけて、以前立小便をしていた地点あたりへ戻った時分には、もう四明ヶ岳の頂上に三人の壮士の影は見当りませんでした。
それを知って、よたとん[#「よたとん」に傍点]先生の腰の痛みもケロリと癒《なお》り、それから二人は引返して、根本中堂《こんぽんちゅうどう》の方から、扇《おうぎ》ヶ凹《くぼ》の方を下りにかかるのは、
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