きるかもしれない。
 興に駆られて七兵衛は、ついに蒲団の中を乗出してしまい、一歩一歩古畳の上をいざって、ようやくしきり戸へ近く来て、戸を楯にして透間から覗《のぞ》いて見ると、炉に坐っている旅人というのは、小柄ではあるが、ずんぐりして、がっちりした体格で、風合羽を羽織り込み、頭に手拭を置いて、座右へ長脇差をひきつけている。面は見えないが、その透間のない座構え、これはただものでないと七兵衛は直ちに感づきました。
 一方、土間の方では相変らず、てんやわんやで、鬼を、鬼を――とさわぎひしめいている。七兵衛は、この客人なるものも気にかかるが、鬼というやつの正体をぜひ見たいのだ。そこで、ジリジリと膝が進む時、炉の横座に坐っていた件《くだん》の旅人が、そのとき急にこちらを向いて、その険悪な面《かお》つき、額から頬へかけて、たしかに刀創《かたなきず》がある、その厳しい面をこちらへ向けたかと思うと、
「おい、若衆《わかいしゅ》さん、この向うの座敷にまだ誰かいるのかい」
「えッ」
「誰かいるぜ――確かに」
と言って、自分が座右へ引きつけていた長い脇差を取り上げたものですから、七兵衛が飛び上りました。

         百五十八

 それから第二の動揺が、この一つ家の内外から起りました。鬼をしとめたという一隊が、今度はそれと違った方向へ向けて、まっしぐらに、曲者を追いにかかったのです。追われたのは、申すまでもなく七兵衛。
 しかし、このたびの追われ心には、七兵衛に於て大いなる余裕がありました。
 第一、まずいものながら腹をこしらえてある。焚火と蒲団で相当に温まって、身心共に元気を回復している。身には合羽を引っかけているし、笠も被《かぶ》っている。その他、あり合せの七ツ道具代用の細引だの、鉈《なた》だのというものを、素早く無断借用に及んで来ている。
 それに何よりの足に自信がある。何者がいくら馬力をかけたって、面白半分に敵をからかって逃げ廻ることは自由自在である。かくて七兵衛はまた荒野原の闇を走りました。遥かに続く追手の罵《ののし》る声、松明《たいまつ》の光、さながら絵に見る捕物をそのままの思いで、余裕綽々《よゆうしゃくしゃく》として走りながらも、ただ一つ残念なことは、あの炉辺に横座に構え込んで、常人には気取られるはずのないおれの動静を感づいた彼奴《かやつ》は何者だろう。果して仙台の仏兵助なる親分そのものが、自身で出向いて来たのかな。そうだとすれば面白いが、そうでないとしても只の鼠ではない。面を見知り、名を聞きとっておかなかったのが残念だ。それともう一つは鬼だ、鬼の正体だ、土間までたしかに拉《らっ》し来《きた》っていたはずの鬼の正体。多分、それは生捕って来たらしいが、生捕らないまでも、半死半生にして引摺って来たものには相違ない。その正体を見届ける隙がなかったのが、いかにも残念だ。仏兵助という奴には、どっかでまた巡り逢えるかもしれないが、鬼の正体はそうどこでも見られるという代物ではない――それが心残りでたまらない。
 七兵衛は、ただそれだけを残念千万に心得て、あとは悠々たる気持で、走り且つとまって、後ろを見返れば見返るほど、追手の火影と遠ざかるばかりです。
 かくて七兵衛は、鬼の正体に心を残して走りましたけれども、古来、この辺の旅路で鬼の未解決に悩まされたものは、七兵衛一人に止まりませんでした。これより先、南渓子《なんけいし》という人があって、その紀行文のうちに次の如く書きました。
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「出羽の国、小佐川といふ処に至らんとする比《ころ》は未申の刻も過ぎつらんと覚えて、山の色もいとくらく、殊にきのふよりしめやかに雨降りて、日影もさだかには知れず、先の宿までは又三里もあれば、とても日の内にはいたりがたからんや、されど雨中なれば思ひの外に時刻うつらぬこともやあらんと疑ひて、行逢ひける老夫に、先の宿まで行くに日は暮るまじきやと問ふに、眉をひそめ、道をさへいそぎ玉はば行きつきもし玉はんなれど見れば遠国の人々にてぞ、此程は此あたりに鬼出でて人をとり食ふ、初めは夜ばかりなりしが、近き頃になりては、白昼に出て、此迄行かふ者は人馬の差別なく、くはれざるはなし、是迄の道も鬼の出でぬる処なるに食はれ玉はざりしは運強き人々也、是より先は殊さら鬼多し、旅するも命のありてこそ、何いそぎの用かは知らねども、日暮に及んで行き玉はんは危しと言ふ……」
[#ここで字下げ終わり]

         百五十九

 当時、南渓子の同行に養軒子というのがありました。鬼が出ると聞くより、カラカラと打笑い、
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「いかに辺土に来ぬればとて、人を驚かすも程こそあれ、鬼の人を取り食ふなどは昔噺《むかしばなし》の草双紙などには有る事にて、三歳の小児も今の世には信ぜざることなり、其鬼は青鬼か赤鬼か、犢鼻褌《ふんどし》は古きや新しきやなど嘲り戯れつつ……」
[#ここで字下げ終わり]
 ところが、南渓子も、養軒子も、ほどなくこの嘲弄侮慢《ちょうろうぶまん》からさめて、自身の面《かお》が、青鬼よりも青くならざるを得ざる事体に進んで行ったのは、なんとも笑止千万のことどもであります。南渓子は紀行文の中へ次の如く書きつづけております。
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「暫く来てなほ時刻のおぼつかなければ、あやしのわら屋に入りて、日あるうちに向ふの宿までゆき着くべしやと問ふに、此あるじもおどろきし体にて、旅の人は不敵のことを宣《のたま》ふものかな、此先はかばかり鬼多きを、いかにして無事に行過ぎ玉はんや、きのふも此里の八太郎食はれたり、けふも隣村の九郎助取られたり、あなおそろしと言ひて、時刻のことは答へもせず」
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 南渓子、養軒子は、ここでもまた充分の冷嘲気分から醒《さ》めることができません。
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「同じやうに人をおどろかすものかなと笑ひて出でて又人に問ふに、又鬼のこと言ふ、あやしくもなほをかしけれども、三人まで同じやうに恐れぬるに何とや誠しやかにもなりて……」
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とある。市《いち》に三虎をさえ出すことがある。荒野の人々に三鬼が打出されてみると、南渓子、養軒子も少々気味が悪くなったらしく、額をあつめて語り合いました。
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「養軒、何とか思へる、詞《ことば》もあやし、殊に日足もたけぬと見ゆ、雨なほそぼ降りて、けしきも心細し、さのみ行きいそぐべきにもあらず、人里に遠ざかりなばせんかたもあるまじ、猶《なほ》くはしく尋ね問ひて鬼のこと言はば、今夜は此里に宿りなんと言へば、養軒も同意して、それより家ごとに入りて尋ね問ふに、口々に鬼のこと言うて舌をふるはして恐る――」
[#ここで字下げ終わり]
 こうなってみると、さしもの南渓子《なんけいし》も、養軒子も、ようやく面の色が変ってきました。
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「扨《さて》はそらごとにあらじ、古郷《ふるさと》を出て三百里に及べば、かかる奇異のことにも逢ふ事ぞ、さらば宿り求めんとて、あなたこなた宿を請ひて、やうやう六十に余れる老婆と、二十四五ばかりなる男と住む家に宿りぬ」
[#ここで字下げ終わり]
 南渓子も、養軒子も、相当の学者でありましたが、とうとう鬼の出現説に降伏して、避難の宿りを求めることになったが、そこで、
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「足すすぎて、囲炉裏《ゐろり》によりて木賃の飯をたきたきも、又|彼《か》の鬼のこと尋ぬれば、老婆恐れおののきて、何事かかき付くるやうにいふ、辺土の女、其言葉ひとしほに聞取りがたくて何事をいふとも知れず……」
[#ここで字下げ終わり]
 土地が変り、音が変るから、老婆の恐れおののいて物語る節が、二人の旅行家には、どうしても聞き取れないけれども、この老婆が一つ家の鬼婆の変形《へんぎょう》ではなく、善良にして質朴なる土民の老婆であることは確実ですから、旅行家の方で念をおしてたずねてみました。
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「然《しか》らば、その鬼はいかなる形ぞ、額に角を立て、腰に虎の皮のふんどしせずやといへば……」
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         百六十

 そこで二人の学者は、まず鬼の風采、衣裳の特徴、角とふんどし[#「ふんどし」に傍点]のことから問いただしてみると、老婆に代って、その傍らの若い男が首を振って答えました、
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「左様なものにはあらず」
[#ここで字下げ終わり]
と。そこで二人の旅行家が押返して、
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「然らばいかなるものぞ」
[#ここで字下げ終わり]
と、つきつめてみると、右の若い男の返事に曰《いわ》く、
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「犬の如くにして少し大なり」
[#ここで字下げ終わり]
 ここで、やや恰好がついて来たものだから、
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「せい高く、口大なりや」
[#ここで字下げ終わり]
とたずねると、
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「そのごとし」
[#ここで字下げ終わり]
という返事。
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「さては狼にあらずや」
[#ここで字下げ終わり]
と言うに、
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「狼ともいふと聞く」
[#ここで字下げ終わり]
という返事――これでようやく鬼の正体がわかってきた。この辺では、狼の一名を鬼というのではない、鬼の別名がすなわち狼であるということが、二人の旅行家にわかりました。
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「殊に人を取食ふものゆゑに、此あたりにては、狼を鬼といふなるべし、古風なることなり、程過ぎて今に至れば、をかしき物語ともなりぬれど、其時の物あんじ、筆の及ぶ所にあらず――」
[#ここで字下げ終わり]
 鬼は寓話の世界に棲《す》むが、狼は現実の里に出没して、たしかに人を食ったのである。怖るべきこと寧《むし》ろ、鬼以上である。
 ここに鬼について、また一説があります。
 オニという日本の古語は、隠れたるモノの意味で、仮りにその隠(オン)という字を当てはめてみたそれがオニに転訛し、鬼という漢字を当てはめることになったのである。角を生やしたり、虎の皮の褌《ふんどし》をさせたりすることは、ずっと後世のことで、ただ隠れたるモノが即ち鬼である。そうしてその時代にあっては、若い女というものはよく隠れたがるものであった。家にいる時でも、他人が見えると几帳《きちょう》の蔭などに隠れたりする。外出の時は、被衣《かつぎ》でもって面の見えないようにする。車に乗れば、簾で隠して人に見えないようにする。そこで、女を洒落《しゃれ》にオニ(隠《オン》)と言い、美しい女ほどオニになりたがる。オニ籠れりということは、美しい女がいるという平安朝の洒落であったということです。こうなってみると、むしろ鬼に食われたがる男が多いに相違ない。
 仏兵助の親分は、早くも追手を引上げさせてしまい、以前の炉辺に、以前のように、泰然として胡坐《あぐら》を組んで言いました、
「あんな足の早い奴を今まで見たことはねえ、まるで、人だか鳥だかわからなかったぜ。だが、奴、足は早いが、地理を知らねえ、野山へ鹿を追い込むと、里の方へ、里の方へと逃げたがる、あいつは地の理を知らねえから、どっかで行き詰るよ、まあ、焦《あせ》らず北へ北へと追い込んで行くことだ、そうすれば結局、恐山へ追い込むか、外ヶ浜へ追い落すが最後だ、は、は、は」
と、榾火《ほたび》の色を見ながら、こう言いました。
 並みいる若い者は、何かなしに恐れ入って、一度に頭を下げて聞いている。
 土間を見ると、二頭の狼がいる。一頭は完全に絶息しているが、一頭はまだ腹に浪を打たせている。右の完全に絶息している奴は、思うに、この親分のために、一拳の下になぐり殺されたものらしい。それから、まだ息を存している奴は、手捕りにしての土産物らしい。
 若い者たちは、鬼を一拳の下になぐり殺したこの親分の底の知れない腕っぷしと、肝っ玉に、ひたすら恐れ入っているらしい。

         百六十一

 天めぐり、地は転じて、ここは比叡山、四明ヶ岳の絶頂
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