改めびた[#「びた」に傍点]助は、こういう場合に、主膳の意に逆らうような文句を以て応酬することの、かえって火に油を注ぐようなものであることだけはよく知っている。
そこで、忽《たちま》ちに論法を一変してしまって、ことごとく神尾の言い分に同じてしまいました。そうして、毛唐なんていうものは、要するに獣の部類に属するもので、お体裁ばかりは作っているが、その実、人倫なんぞは蹂躙《じゅうりん》してかまわない、その証拠としては、衣冠束帯などの儀式を知っているものは一人もなく、男はみんな仕事師同様の筒っぽを着ている。
女は鳥の毛や毛皮を好んで着たがるが、それは今いうところのお体裁ばかりだから、室内にいる時は裸になりたがる。ごらんなさい、毛唐の女の絵といえば、八分通りはみんな裸でげすからな。裸になれと言えば、どんな高尚な奥様でも裸になるばかりか、その裸姿を絵に描きたいからと言えば、どんな高尚な奥様でも二つ返事で、その裸を描かせてくれる。そればかりじゃがあせん、その裸の姿を、大勢の見るところの書画会かなにかへ持って来てさらしものにすると、どんな高尚な奥様でも、御当人嬉しがること、嬉しがること。
そこへ行くと日本の国の女なんぞは、肌を人に見られると舌を噛《か》んで死んでしまう。たいした違いでげす。日本の女は肌をさらしものにされることを恥辱と心得ているが、あちらの方は、素裸を社会公衆の前にさらしものにして、それが御自慢なんでげす。つまり、人間のこしらえた衣裳なんぞを引っかけたのでは天真の美を損ずる――わが女房の一糸もかけぬ肉体をごろうじろ、この通り天の成せる艶麗なる美貌――テナわけでがあしてな。
でげすから、なあに、商館の番頭の女房といえども、支配人の細君といえども、話の持ちかけようによっては、どうにかならない限りはがんすまい。びた[#「びた」に傍点]一代の知恵を搾《しぼ》って、腕により[#「より」に傍点]をかけてごらんに入れますから、少々お気を長くお待ち下さい。そもそも兼好《けんこう》ほどの剛の者がついておりながら、高武蔵守師直《こうのむさしのかみもろなお》が塩谷《えんや》の妻でしくじったのも、短気から――すべて色事には短気がいちばんの損気。
というようなおべんちゃらを、びた[#「びた」に傍点]助が繰返して、またともかくも神尾主膳を一応まるめ込んでしまいました。
さて、それからようやく、金助改めびた[#「びた」に傍点]公が、今日ここへ神尾をそそのかしに来た来意のほどを申し出る段取りになりましたが、その問答は、
「時に、今日は例の悪食《あくじき》の御報告を兼ねて推参、ぜっぴおともが仰せつけられたい――ところは三輪《みのわ》町の金座――時間は正七ツ――」
ということの誘いでした。
「行こう」
神尾が一議に及ばず賛成したものですから、
「有難え――」
と仰山《ぎょうさん》らしく、びた[#「びた」に傍点]助が自分の頭を叩いて、そうして、駕籠《かご》を、乗物をというのを断わって、神尾が、
「三輪までは一足だ、ブラブラ歩こうではないか」
「結構でげす、金座へ向けてブラブラ歩き、これが当時はやりの金ブラでげす」
神尾主膳は、縮緬《ちりめん》の頭巾を被《かぶ》って三ツ眼の一つにすだれをおろして、一刀を提げて立ち上ると、びた[#「びた」に傍点]はころころしながらその後について、外へ出かけたのですが、その目的地は今もびた[#「びた」に傍点]公が言った通り、三輪町の金座――というところであり、その目的は悪食――にある。けだし、相当のものであろうと思われる。
百六
金助改めびた[#「びた」に傍点]公が、神尾主膳をそそのかして外へ引っぱり出しました。びた[#「びた」に傍点]公がそそのかした建前《たてまえ》を聞いてみると、今日の正七ツ時――悪食の会、ところは三輪の金座――というところになっていて、神尾もそれを先刻御承知のもののように、一議に及ばず出動ということになったのだが、悪食の会は悪食の会でよろしいとして、三輪の金座とはどこだ。
金座といえば、一昨年焼ける前まで、日本橋の金吹《かねふき》町に在《あ》ったはずだが、それが、三輪方面へ移転したという話は聞かない。では、銀座の間違いではないか。銀ブラ――道庵先生でさえハイキングをやる世の中だから、この両デカダンが銀ブラを企てることもありそうなことではあるが、当時にあっても銀座といえば、やっぱり京橋から二丁目あたりの地名ではあるが、電車も、バスも、円タクもない時代に、根岸からではブラブラの区域にならない。
果してこの二人は、江戸の中心地を目指して進んで行くのではなく、根岸から東北へそれて行くのは、当然、びた[#「びた」に傍点]が先刻言明した通りの、三輪あたりを志すものに相違ない。根岸から三輪ならば、相当のブラブラ区域です。
神尾主膳も一議に及ばず、びた[#「びた」に傍点]の勧誘に応じて出動したくらいですから、最初のほどはかなり気をよくして、ブラブラ歩き出したものですが、そのうちに、またも気色《きしょく》を悪くしてしまいました。
それは、あの辺には、寺と、広い武家屋敷とのほかに、百姓地が多くある。それからまた、千住《せんじゅ》から三輪街道のあたりは、かなりの百姓街道になっている。
もとより、往来するものは百姓だけではないが、あいにく、この日に限ったことではないが、近在の百姓連が多く、それも、神尾の姿を見て、多少の畏憚《おそれ》を以て行き違うものもあるが、どうかすると、あぶなく突き当りかけて、かえってこっちの間抜けを罵《ののし》り顔に過ぎて行くものもある。
その百姓を見る時に、神尾の気色がまた悪くなりました。
神尾は生れながら、百姓というものは人間でない――ものの如く感じている。
それは、当然、階級制度の教えるところの優越性も原因することには相違ないが、それほど神尾というものが、百姓を、忌み、嫌い、呪うというのは、別にまた一つの歴史もあるのです。
それは、神尾の先祖が、百姓を搾《しぼ》ろうとして、かえって百姓からウンと苦しめられ、いじめられている。神尾の祖先のうちの一人が、自分の放蕩費の尻を知行所の百姓に拭わせようとしたために、百姓|一揆《いっき》を起されて、家を危うくしたことがある。
体面の上からは勝ったが、事実に於ては負けた。領主としての面目は辛《かろ》うじて立ったが、内実は百姓の言い分が通ってしまったのだ。だから、心ある人は、それから神尾の家風を卑しむようになっている。
その歴史が今も神尾を憤らせている。百姓というやつは、厳しくすれば反抗する、甘くすればつけ上る――表面は土下座しながら、内心ではこっちを侮っている、最も卑しむべき動物は百姓だ――これには強圧を加えるよりほかに道はないと、それ以来の神尾家は、代々そう心得て百姓を抑えて来ていた。今の神尾主膳も、百姓を見ると胸を悪くすること、その歴史から来ている。
百七
この点に於て、神尾主膳は徳川家康の農民政策を支持している。
「権現様の収納の致し様」といって、百姓は生かしもせず、殺しもせざるようにして搾《しぼ》れ、ということが、すなわち徳川家康の農民政策であったと、今日まで伝えられているのだ。
毎年の秋、幕府直轄の「天領」を支配する代官が、その任地に帰ろうとする時、家康はこれらを面前に呼びつけて、郷村の百姓共をば、
「死なぬように、生きぬようにと合点《がてん》いたし、収納申付くべし」
と申しつけたということである。
その伝統を承って、これは家康の落胤《らくいん》だといわれた土井大炊頭《どいおおいのかみ》の如きは、ある年、その居城、下総の古河に帰った時、前年までは見る影もなかった農民の家が、今は目に立つようになって来たとあって、
「百姓、生き過ぎはしないか」
と、部下の役人に詰問的の問いをかけたということになっている。
その当時の一村の名主の家には、必ず水牢、木馬の類が備えてあったのだ。百姓共が年貢を滞納する時は、水牢に入れ、木馬に乗せて、これを苦しめたものだ。
それだけを聞いていると、いかにも農民に対して、血も涙もない遣《や》り方のように聞える。徳川家は、農民を見ること牛馬以下であって、農民にとって徳川家は仇敵《きゅうてき》ででもあるかのように聞えるが――事実、天下を政治するものが、好んで農民を苦しめたがる奴があるものか、苦しめるには苦しめるだけの理由があるからだ、苦しめられる方は、苦しめられるだけの因縁があるからなのだ。
いったい、発祥時代の徳川家の地位を考えてみるがいい。天下は麻の如く乱れて四隣みな強敵だ。その間から千辛万苦して、日本を平らかにする――勢い兵馬を強からしめねばならない。兵馬を強からしめるには、後顧《こうこ》の憂《うれ》いを断たなければならない。兵馬を強からしめるには、兵馬を練ればよろしいが、後顧の憂いなからしむるためには、百姓を柔順にして置かなければならぬ。百姓は、矢玉の間に命がけで立働くには及ばない代り、柔順に物を生産して、軍隊の兵站《へいたん》を補充しなければならない。万一、百姓を強くして、これに反抗の気を蓄えしめた暁には、強い戦争ができるはずはない。そこで百姓を骨抜きにしておかなければ、軍隊を強くして、天下を平定することはできないのだ。だによって、家康が百姓をおさえたのは、武力を伸ばさんため。武力を伸ばすのは、天下を平定せんがためなのだ。そうして、家康はそれに成功したのだ。天下の平和のために、百姓を犠牲にしたのだ。百姓をいじめたいから、自分が栄華をしたいから、そこで百姓を虐待したわけではないのだ。現に百姓共が、安穏《あんのん》に百姓をしていられるのも、この徳川の武力あればこそではないか。強い武力がなければ、国は取られ、田は荒され、百姓は稼《かせ》ぐところを失うどころか、稼ぐべき田地をさえ持つことはできない。
だから、百姓は百姓として、分を知って服従していさえすればいいのに、ややもすれば反抗したがる。表面服従して、少し目をはなせば一揆《いっき》を起したがるのが百姓だ――ことに近来は、一揆の無頼漢の音頭を取るものを称して「義民」だのなんのと祭り上げる輩《やから》が多いから、百姓がいよいよ増長する。そもそも、百姓をかく増長せしめた近来での大親玉は、水戸の光圀《みつくに》だ――
百八
神尾主膳の頭の中にまたしても、真黒い雲がうず巻いて来ました。
そもそも、この徳川の宗家にとって害物であるところのものは、水戸以上のものはない。
水戸は徳川の一家でありながら、最初から徳川の根を枯らすことばかりやっている。そうして大向うからは人気を取っている。
神尾主膳が水戸を毛嫌いをしていることは、今に始まったことではないのです。
何か機会があると、まず光圀を槍玉に挙げる。あの光圀を天下の名君の如く騒ぐ奴の気が知れない。あれは謀叛人《むほんにん》だ、徳川にとって獅子身中の虫なのだ。あれは最初から宗家に平らかならざることがあって、池田光政あたりと通謀して、天下を乗取ろうとした腹黒い奴である。大日本史を編んだり、楠公《なんこう》の碑をたてたり、また、いやに農民におべっかをつかって、下に親しむように見せかけるのが水戸の家風だ。その実、家中は党を立てて血で血を洗っている。あの斉昭《なりあき》の行状を見るがいい、烈公が何だ――その血筋を引く一橋が本丸に乗込んだ。思い通り天下を乗取って水戸万歳のようなものだが、いまに見ていろ、徳川を売るのは水戸だ――
神尾は、やみくもにこういうふうに邪推して、水戸を憎がっている。しかし、この男としては公然とそれを唱えて、同志を作って、その売られんとする宗家のために戦うというような気概があるわけではない。ただ、むしゃくしゃと、そう感憤激昂して、水戸を毛嫌いしている――
こういうむしゃくしゃ腹で、薬王寺前あたりへ来た時に、どんと無遠慮に神尾の前半にぶつかったものがありました。
それは、わざとぶつかったものではない、
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