道を行くのだから、少なくともこの道中唯一の異例であります。
 しかし、この先生のハイキングぶりを見ていると、甚《はなは》だ心もとないものがある。第一、道中の際は、あのひょろ高い背で、肩であんまりすさまじくもない風を切り、反身《そりみ》になって、往還の士農工商どもを白眼《はくがん》に見ながら通って来たものですが、山登りにかけては、あんまり自信が無いと見えて、もうそろそろ、体が屈《かが》み、腰が歪《ゆが》み、息ぎれが目に見え出してくる。そこで、先生のハイキングぶりが甚だ怪しいもので、ハイキングというよりは「這《は》いキング」とでもいった方がふさわしいかも知れぬ。現に、もう息を切って、杖を立て、足を休めてしまいました。
 そうすると、右手の松柏《しょうはく》の茂った森の中から、やさしい声が起りました、
「先生」
「何だい」
「ちょっと、こちらへおいでなすって下さい」
「何だね、どうしたんだね」
「ちょっと見て頂戴、まだ、よくわたしにはわかりませんから」
「そうか、では見てあげる」
 路と林との中で、この問答が起りました。
 森の中から先生と呼びかけたのは、しかるべき少女の声で、これに答えたの
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