」
その時分には、小学校に於ても相当に体罰が流行《はや》ったものです。いきなりその女の子にビンタを一つポカリと食わせましたが、少し神経痴鈍な女の子でしたから、別段、泣きもしないで、何の故に自分が打たれたのだか理解する由もないような面《かお》をしていたのと、その時の先生のすさまじいけんまくは、いまだに著者の目に残っている。
「何々ニ遊ブノ記」の記事文の型も、その前後に流行したもので、われわれ小学生も、必ずその書出しには、「コノ日ヤ天気晴朗」と、「空ニ一点ノ雲無ク」と、「一瓢《いつぴょう》ヲ携ヘ」は必ず書かせられたものです。雨が降っても、風が吹いても、天気晴朗と書かなければならないものだと心得ており、携えた一瓢の中は何物だかということは、説明を与えられることもなく、説明を求むるほどの知恵もなかったものです。
しかし、今日、このところ、道庵先生のハイキングに当って、天気晴朗にはいささか申し分があるけれども、一瓢を携えたことだけは一点の疑う余地はありません。
三十二
道庵先生のハイキングコースは、上平館《かみひらやかた》を出でて、通例だれもがする小高野から鞠場《まり
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