ばかりです。

         二十六

 そういうこととは知らず、石小屋の中では、白雲のいわゆるイカモノの音楽が、奏する人をいよいよ有頂天《うちょうてん》にならせると共に、さしもの聞き手を、ようやく陶酔と恍惚《こうこつ》の境に入れようこと不思議と言わんばかりです。
 それが、イカモノであろうとも、なかろうとも、自己の演出する芸術が、張り切れるほどの相手方の反感を和《やわ》らげ得たのみならず、進んでこの程度にまでこっちのものに引き入れた自分の芸術の勝利に、マドロスがいよいよのぼせ上らざるを得ませんでした。
 そこで、ここを先途《せんど》と、引換え立替え、レコードを取換え、針をさし換える隙《ひま》がもどかしいように、西洋から、南洋から、支那朝鮮の音楽にまで、自分の持てる芸術の総ざらいをはじめて終り、やがて息をもつかせず、
「オ嬢サン、コレカラ日本ノモノヤルデス、マズ南ノ方カラヤリマショ、八重山ヲヤリマショ」
「八重山って何です」
「八重山ハ薩摩ノ国ノ南ノ方ニアル島デス、ソノ島ノ娘、タイヘン声ヨイデス、世界デモ一番デス」
と、マドロスが風琴を膝へ置いて答えました。
「え?」
と女が少し聞
前へ 次へ
全551ページ中70ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング