へ漕ぎつけることになったのだ。その召連れて来た武功者は、聞えたる大力の大男でね、鶴見は反対に君のような――と言っては失敬だが、とにかく小兵《こひょう》な男であったそうだ。それが右の武功者を縛りもしないし、刀を差させたままで、同じ舟の中へ連れ込んで打解けているものだから、警固の足軽連が心配したのも無理はないね。その時鶴見は艫先《ともさき》の方に腰をかけていたそうだが、右のお咎《とが》め者も鶴見の傍に船ばたにもたれている、鶴見が茶をすすめるとそれを飲み、何かと無難に物語りをしているうちに、船が城下近くなろうとした時、右の武功者が、乗組の油断を見すましたか、つうと水の中へ飛び込んでしまった。さてこそと警固のものが眼の色を変えて狼狽《ろうばい》したのだ」
「なるほど……」
「だから、言わぬことじゃない、あれほどの武功者を縄もかけず、大小も取上げずに召連れて、それに悠々と茶などを振舞って世間体にもてなしていたのが緩怠千万――なんにしても大事のめしうど、取逃がしては一大事と、皆々続いて水中に飛び入ろうとすると、鶴見は少しも狼狽《あわ》てず、以前の通りに艫先に腰かけていて、右の手で髭《ひげ》をひねり
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