ともに、遠目では、かく悠々閑々たるそぞろ歩きを続けているように見えるが、事実上は、歩みながら絶えず、往手《ゆくて》と左右の草原から、沼、橋、森蔭をまで、隈なく見透さんとした身構えで歩んでいるのであります。
 そのかなり細心に働いている首筋の異動と、眼光のつけどころを見ていると、ただ月に乗じて浮かれ出したものでないことは明らかであります。何か目的あって、それを探し索《もと》めるために出動したものと見なければならないのです。
 それが微吟となったり、閑話となったりして洩《も》れて来るのは、その目的に達する間の道草に過ぎないと思われる。
「先刻から聞いていると、君はその恐山の林崎明神のお堂で居合を修行したということだが、してみると君の居合の流儀は、林崎流の居合なのだね」
「いや、そうじゃないです、林崎明神というのは、恐山の一部にある名所の名でして、林崎流の居合とはなんらの関係がないです、僕の修行したのは浅山一伝流なんですが、それも純粋の浅山一伝流というには少々恥かしいでしてね、コツは習いましたけれども、やり方は未熟な自己流ですから、本場へ出て練り直さなければならない、と考えとるです」
「なる
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