にかけた鉄桿の上から、マドロスが真黒いものを一つ取って、娘の枕元へ差出すと、娘はちょっと横を向いて、ちらとその黒いものを見やり、
「何なのそりゃ、マドロスさん、いやに真黒なもの、何なの」
「焼餅デス、サッキ渡シ場ノ船頭サンカラ、貰ッテ来タデス、色ハ黒イケレド、ナカナカオイシイデス」
「わたしには気味が悪くて食べられない」
「食ベナイト、オナカスクデス、オナカスクト身体弱ッテ、コレカラ黒船マデ行ケナイデス」
「だって、食べたくない」
「オアガリナサイ、無理ニ食ベテ元気ヲオ出シナサイ」
「食べられません」
と言って、娘はこちらを向いてしまいました。この黒い焼餅こそは、先刻、このマドロスが生命《いのち》がけで渡頭の船頭小屋へ闖入《ちんにゅう》して、そこから掠奪して来たものです。そうして逃げ出すところを、船頭父子に追いつめられて、命からがら逃げのびて来た、その光景を向う河岸の小高いところに据えつけていた遠眼鏡を取って、いちいち田山白雲に認められてしまった、あれなのです。
そういう思いをして得て来た生命がけの糧《かて》を見ること、この娘さんは土芥《どかい》にひとしい。
「ああ、もう日が暮れるじ
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