すと、若党がそれを聞いて涙を流して言いました、
「それはお情けないお言葉でございます、亡き御主人様に子のように愛されておりましたわたくし、今この場に当って、奥様の敵討にお出ましになるのをよそに、どうしてこのお邸《やしき》を立去られましょう。下郎の命はお家のために捧げたものでございます、どうか、私めをもお連れ下さいまし、道中に於ての万事の御用は申すまでもなく、敵にめぐり逢いました時は、主人の怨《うら》み、一太刀なりと報いなければ、仮りにも家来としての義理が立ちませぬ。どうぞこの下郎をお召連れ下さいまし、たとえ私は乞食非人に落ちぶれましょうとも、奥様に御本望を遂げさせずには置きませぬ。もしお聞入れがなくば、この場に於て切腹をいたしまして、魂魄《こんぱく》となって奥様をお守り申して、御本望を遂げさせまするでございます」
 思い切った体《てい》で、こう言い出しましたものですから、奥様も拒《こば》むことができません。
「それほどそちが頼むならば、聞いてあげない限りもないけれど、知っての通り、家にはそう貯えというものがあるわけではなし、永《なが》の年月たずぬる間には路用も尽きて、どうなるか知れぬ運
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