放蕩無頼の徒を諭《さと》しては正道に向わしめ、波風の立つ一家を見ては、その不和合を解き、家々の子弟や召使を懇々《こんこん》と教え導き、また、台所生活にまで入って、薪炭の節約を教えたり、諸国|遊説《ゆうぜい》の間に、各地の産業を視察して来て、農事の改良方法を伝えたりなどするものですから、「女高山」という異名を以て知られるようになっている。「女高山」というのは「女高山彦九郎」という意味の略称で、つまり、安政の勤王家高山彦九郎が単身で天下を往来したように、このお婆さんは、女の身で、単身諸国を往来して怖れない――その旅行ぶりが、彦九郎に似ている。また京都へ行って、御所御礼を怠らない勤王ぶりが、高山彦九郎にそっくりである。その、人を改過遷善に導く功徳と、利用厚生にまで人を益する働きは、むしろ本家の高山に過ぎたるものがある――
右のお婆さんという人は、右のような女傑である――ということの説明を、富作さんの口から聞いて、与八がなるほどと感心をさせられました。
してまた、一方の徳大寺様というのはいかに、これこそ、まことに貴い公家様《くげさま》でござって、女高山の婆さんは、エライといっても身分として
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