、わしでございますか、わしは二十《はたち》でございますよ」
「二十――なるほどね」
とお婆さんが、また深く感心してしまいました。
前に感心したのは、その人相がいいということでありました。しかし、今の返答ぶりで見ると与八は、この矍鑠《かくしゃく》たるお婆さんから、自分の人相がいいといって感心されたことをお感じがなかったようにも見える。何となれば、改めて年齢を聞かれた時に、数え年の四つだと答えました。
してみると、いい人相だと賞《ほ》められたのは自分でなく、自分の抱いているこの郁太郎のことだとばっかり考えていたのに相違ない。与八としては、今までずいぶん、自分の体格がいいということは、人からほめられるに慣れている。かっぷくがいいということだけは、子供の時分から賞められているから、これは今では人も称し、自らも称すことになっている。それから次に、力がある、力量が非凡であるということも、それを発揮した時に人から認められもし、驚歎されもすることに慣れきっているけれども、特にこうして「人相がいい」ということを頭から感歎されたことは、あまり例がないのです。
感心するならば、こうして、素裸《すはだか
前へ
次へ
全551ページ中234ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング