が、そのやはり申すまでもなく金無垢で……もちろん、これをお差料になすっていたお方のお家の御紋に相違ございません、この通り金無垢で、下り藤の定紋がこの鞘に一つ打ってござんす」

         七十七

 頬かむりの忍び男が、お銀様の眼の前に投げ出した脇差を指しながら、こんなことを言い出したので、お銀様が思わずちょっと向き直りました。
「なに、下り藤の定紋が?」
「はいはい、その通りでございます、お見覚えはございませんか――どうか篤とお手にとって御一覧を願いてえもので……」
「ああ、それは――」
とお銀様が、はじめて少し本気になったようです。ついにこのいけ図々しい奴の猫撫声に、どうもある程度まで釣られてしまったらしい。そうして、手に取ることこそしないけれども、改めてじっとその脇差を見詰めましたが、
「これは、わたしの父の差料に違いありません、それをどうしてお前が……」
「それそれ、そうおいでなさるだろうと、実は最初《はな》から待っていたんでございます――そうおいでなさらなくちゃなりません。いかにも、これは甲州第一の物持、有野村の藤原の伊太夫様の道中のお差料なんでございますよ。そうと事が
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