少し大事に心得ていてもらってもいいと思いました。
ことに問題のあの『山楽《さんらく》』でございました。三間の大床いっぱいに、滝と、牡丹と、唐獅子とを描きました、豪壮にして繊麗の趣ある筆格は、まさしく山楽に相違ないと、わたくしは一見して魂を飛ばせるほどでございましたが、二度三度見ても飽くことを知らぬ思いを致しましたが、肝腎《かんじん》の寺を預る人たちは、山楽を山楽として認識しておりません、これが残念です。残念だけならいいけれども……」
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お銀様は昼の見学の時の怨《うら》みを今、筆にうつしているところでありました。
六十八
お銀様は、さらさらと筆の歩みを続けて申します――
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「あの豪壮な山楽の壁画の前が、鼠の巣となろうとしています。なにも寺の人は故意にしているわけではありませんけれど、世の常の人が偉人に親炙《しんしゃ》していると、つい狎《な》れてその偉大を感じないといったように、これだけの山楽を傍に置きながら、山楽とも思わないで、心なき寺の人が、その床を物置に使っているではありませんか。
このぶんで行きますと、早晩あの
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