、そこで、堪えられなくなったお銀様の行動というものは、直ちにその場を立去ることでありました。
 まだ見ようと思うところ、見残したところも多少あるでしょうが、これでお銀様は断念して、もと来た玄関の方から引返してしまいました。引返して後、この寺を出て宿へは帰らないで、湖岸の方へと向って行きました。その時はもう、連れて来た宿の少女もかえしてしまい、全く単身でありましたが、湖岸へ出て、しばし琵琶の湖水を眺めている姿を見かけましたけれども、それから後は、どこをどうしたか、お銀様の身が長浜の町の中へと呑まれてしまいました。
 しかし、その夜になると、いつ帰ったともなく、お銀様は宿へ帰って納っておりました。
 お銀様の宿というのは「浜屋」です。浜屋というのは、一見|旅籠屋《はたごや》とは見えない、古いだだっ広い、由緒の幾通りもありそうな構えで、大通寺の建築が豊太閤の桃山城中の殿舎であったとすれば、この宿屋は、たしかに秀吉長浜時代の加藤虎之助とか、福島市松とかいった人たちの邸をそのまま残したものであろうかと思われるくらいですから、間取りなども、宿屋というよりは陣屋、陣屋というよりは城内の大広間といった
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