宵に新月がちらと姿を見せたままですから、今晩は闇の夜です。闇の夜といっても、真の闇の夜ではなく、星は相当に数えられるのです。
その星の地位からして見ると、アルゴルの星の光が最も低く沈む時分、長浜の無礙智山《むげちざん》大通寺の寺の中へ、「お花さん狐」が一つ化けて現われました。
どういうふうに「お花さん狐」が化けて現われて来たかというと、黒い覆面のいでたちで、痩《や》せた身体に、二本の刀を落し差しといったように腰にあしらい、そうして、物に病みつきでもしたもののように、ふらりふらりと台所門の方から現われて来たのです。
長浜別院の「お花さん狐」といえば、知る人はよく知っている。ほとんど全国的に知る人と知らない人がある。この大通寺がその昔、羽柴秀吉の城地であった時分から、お花さん狐は今日でもまだこの地に棲《す》んでいると堅く信ぜられているのです。秀吉の長浜城の建築物をこの大通寺へ移したと同時に、お花さん狐もここへ移り棲んでいるものと信ぜられている。そうして、寺の栄枯盛衰に関する場合には、霊狐《れいこ》の本能を現わして寺を守ることになっている。狐のことですから、化けるにしても、たいてい
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