込んで来たものの、ようやく岸へ辿《たど》り着いた時分には、ここで一番焚火でもして身を温めてやらぬことには慄《ふる》え上ってものの用には立つまい――と内々|藁火《わらび》の用意まで心がけて待構えていると、岸へ上った右の裸男は、そこで頭上の衣類を取卸すと共に、その中から手拭ようのものを引張り出して、ゴシゴシと身体を拭い出した様子を見ると、別段、慄えても凍えてもいないようです。
それから衣類を解きにかかって一着に及びました。帯も極めて無雑作《むぞうさ》に引締めて、その次に袴《はかま》を穿《は》きにかかりました。袴を穿き出した時に、取詰めに行った法螺の貝の手勢が、また少しばかり動揺して、
「あ、裃《かみしも》を着ていやがるぞ!」
裃ではない、袴だけです。その袴とても、彼等が見てこそ裃だが、田山白雲あたりが見たのでは、あんまり感心した袴ではないのです。縞目《しまめ》のところは更にわからない、地質の点も不明なのですが、一見してわかるのは、その桁丈《ゆきたけ》の極めて短いということだけです。
さて、この短い袴をつけてから、次に長い刀を取り上げて腰に差しました。
四
その刀の長いこと――袴が短かかっただけに、特に刀の長いのが目立つのでもあろうが、刀そのものを独立させて見ても、たしかに世の常のものよりは長い。それがこの場合、ことさらに長く見えるのは、短い袴が引立て役をつとめているばかりではない、今まで人品骨柄のことは言わなかったが、本来この男の人の身の丈が、普通人よりはずっと低くして小さかったのです。すなわち短躯矮小《たんくわいしょう》の人物でありました。
田山白雲は、曾《かつ》て何かの時の戯れに、「一寸丹心」と書くべきを、「一寸短身三尺剣」という戯画を描いて、極めて矮躯短身の壮士に、図抜けて長い刀を差させた一枚絵を描いて、平山行蔵に見せたことがある。
その一枚絵を思い出して、思わず微笑しないわけにはゆきませんでした。本来は、突然こういう微笑だけでは済まされない、まず取敢《とりあ》えず吹き出してしまったかも知れないのですが、今日のは、最初の出が緊張していた上に、鳴物入りの凄味《すごみ》まで加わってここへ来ているのですから、ただ若干の失笑を余儀なくされただけで、なお一心に事のなりゆきを見守っておりました。
長い刀は差し終ったが、脇差に至っては、その以前に手早く差し込んでしまったのか、或いはまだ差していないのか、その辺がわからないうちに、右の人物は鉄扇様のものを手に持って、太鼻緒の下駄を足に突っかけて、河原の石をガランゴロンと踏み分け、両肩を聳《そび》やかして、さっさと、逃げ隠れもわるびれもせずに、こちらへ向って闊歩《かっぽ》して来るのであります。
白雲は、もはやこの男の人品骨柄から、衣類持ちものまでも見るのに遠眼鏡を要しません。頭こそ元服はしているが、年齢はまだ若い――おそらく十七八歳を出でまいと見られる若者でした。袴を穿き、鉄扇を持っている。長い刀、それは最初遠目に見たところと更に違いはないが、問題の脇差はついに見当らないということに結着しました。
つまりこの男の腰には、長い刀の一本だけ横たわっていて、そうして他の差添えというものは何もないことを知ってみると、どうも変則な武装だと思わずにはおられません。
脇差はどうしたのだ。
差し忘れたのか、本来差して来なかったのか、それとも、只今の乗切りで川の中へ取落しでもしたのか。
田山白雲がよけいな心配までしてやっている時分に、法螺《ほら》の貝の手勢が、真黒くなって早くも右の小兵《こひょう》の長刀の男を取囲んでしまいました。本来、小さい身体なのですから、雑然たる多勢に取囲まれては、忽《たちま》ち姿を呑まれてしまうのは是非もないことで、多勢の中に呑まれてしまうと、田山白雲としては、もはや遠眼鏡を以てしても、肉眼を以てしても、その男の姿を認めることはできなくなって、ただすさまじい喧々囂々《けんけんごうごう》だけを耳にするばかりです。
「あぎゃん、こぎゃん、てんこちない、たんぼらめ!」
「渡し場には渡し場の掟ちうもんがあるのを知らねますか?」
「そぎゃん川破りをお達し申せば、お関所破りと同罪ぎゃん!」
「棹《さお》を出し申すまで待たれん間じゃござんめえ、とっべつもない!」
「けそけそしてござらあ。いってえ、こんたあ、どこからござって、どっちゃ行く!」
「わや、わや、わや」
思いきって土音雑音を発揮するらしいが、別段、手出しには及ばないようです。
五
取巻く土地の人々が、思い切って土音を発揮する上に、取巻かれている当の男が、またその男特有の地方音をもってあしらっているのだから、白雲の耳に、そのまま移すことができないのは道理だが、しかし最初から
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