て》と、船頭というものの職業とその存在とを、無視してかかった御法破りに類しているから、その反逆者を反省さすべく、船頭殿がその職権の上から、声をからして呼び戻しているに相違ないのですが、川原の中の短気者は、今さらそれに取合うくらいなら、最初から、こういう行動には出なかったでしょう。そこで、一旦は踏み留まって振返って見たけれども、忽《たちま》ちクルリと背を向けて、北上川の川破りの続演をつづけました。
そこで当然、警告を無視された向う岸の船頭が、怒号と共に地団駄《じだんだ》を踏み出したのは無理もないが、同時に、こちら側の岸に立っている船頭共も黙ってはいないのが当然であります。
「やれそれと、のぶとい奴じゃ、渡場《わたし》をかち渡りするは御法度《ごはっと》なんでア、何たるワザワグこったべえ、只じゃ済まねえべ、お関所破りと同罪なんでア、早うでんぐり返《けえ》りな、素直にでんぐり返《けえ》って舟へ乗って渡って来てかんせ! 無茶あしねえものだべなア」
そこで、この川原の中の裸男は、両岸から船頭の怒号の機関銃を浴びせかけられたような立場になりましたが、いっこう立ちすくみもしないで、予定の行動をとっているのです。
こうなってみると田山白雲も、なるほど、あの短気者の挙動は、一応痛快には似ているけれども、理由としては、船頭の方に充分の根拠が無いではない。
緩慢は緩慢として、スロモはスロモとして、それは責めてよろしいが、緩慢であるが故に、スロモであるが故に、渡し船の存在しているところを、身を以て直接行動をとってよろしいという理由にはなるまい。
「ここは一応、船頭の言い分を立てて、立戻った方がよかろう、そうして置いて、彼等の怠慢ぶりをとっちめてやる時には、我等も相当の義憤を以て応援する」というような気持にまで田山白雲も緩和されているけれども、当面の裸男は一向ひるむ様子も見えず、大手を振って堂堂と川渡りを決行して来る挙動が、かなり大胆不敵なものであって、見る人に、好奇以上の恐怖と、警戒とを与えずには置きませんでした。
ああして白昼堂々と川破りを決行するからには、捨身でかかっているのだ、だから何をしでかすかわかったものではない――という恐怖心が、すべての人の頭を襲いました。
そうしているうちに、あちらの岸の渡頭から、法螺《ほら》の貝の音が高らかに響き出しましたのです。
三
この際、法螺の貝の音には田山白雲も、多少おどかされざるを得ませんでした。
相当|喧噪《けんそう》な人間の雑音は、こういう際だからやむを得ないにしても、この中へ、非常時用の器楽が一つ加わろうとまでは思い及ばなかったことでした。
向う岸で法螺《ほら》の貝を吹き出すと、やがてこちらでも、いつのまにか、田山白雲のつい足許《あしもと》から同じ貝の音がすさまじく響き出しました。
法螺の貝の音が聞え出すと共に、あちらの畑や、こちらの木蔭や、川にもやっていた舟の底なんぞから、一人、二人、三人、四人、続々と人間が首を出して来て、いずれもかなり不穏な面《かお》つきをしながら、おのおの両岸の法螺の鳴っている根拠を目指して集まり寄るのは、非常召集の合図を聞いた屯田兵《とんでんへい》のようです。
「これは存外、事が重大になりそうだわい」
田山白雲は、自分の身の上に何か相当の危難が降りかかりでもするかのように、川の中の強情者の行動を改めて篤《とく》と見据えて見たが、事態がしかく物々しくなりつつあるに拘らず、事実はかえって簡単明瞭なものに過ぎないということを直覚して、かえって安心した気持になります。
不安の目的物たる存在が、現在、眼の前にいるのですから、問題としては、複雑した事情というものは更に無いのです。万一、これが夜分であるとか、あれがまた川を縦に走り出した日には、川上へ行っても、川下へ下っても際限が無いのですけれども、川を横切って、そうしてこちらを向いて、白昼たった一人でやって来るのですから、その取扱いは極めて簡単明瞭といわなければなりません。言葉を換えて言ってみると、向うから追い落した獲物《えもの》を、こちらに網を張って待っていると、獲物それ自身が、その網にかかりに来るような方向を取って進んで来るのですから、進退の節《ふし》は極めて明らかなもので、かえって両岸の狼狽ぶりがおかしいほどのものです。
かくして右の裸の人物は、無事にこちらの岸に到着してしまいました。法螺の貝の下《もと》に集まった連中は、直ちに川原へ駆けつけて、怖々《こわごわ》とそれを遠巻きにして取詰めて行くあんばいで、頓《とみ》には取押えようとはしません。
「寒いことざえ、凍《こご》えてうっ死《ち》んじあうべ――この寒い水ん中をなあ」
時は初秋とはいえ、北地は寒い。ああして一途《いちず》に水へは飛び
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