晴らしいものかも知れないが、その土地へ行って、世界一だとか、日本一だとかいう声の練れた島の娘たちの咽喉から直接《じか》に聴かなけりゃ、本当の味がわからないわね、地唄というものはみんなそうなのでしょう、日本のものを聞くくらいなら、わかるのを聞きたいわ、けれども、安来節や、磯節なんて、わたしあまり好かない、何か日本の唄でわかるのをうたって頂戴」
「デハ、カンカンノウ、キウレンスヲウタイマショウカ」
「あれは日本のじゃありませんよ、わからないことは同じよ」
「デハ、チョンキナ、チョンキナ」
「いけないわ、なんだか下品だわ」
「お前とならば……」
「いや味ったらしい」
「春雨」
「お前さんのがら[#「がら」に傍点]にないね」
「きんらいらい」
「駄目よ」
「越後獅子――イイデス」
「あんまりおきまりでねえ」
「十日戎《とおかえびす》」
「ぞっとしない」
「梅にも春」
「いよいよお前さんのガラにない」
「惚れて通う……」
「いやいや」
「デハ、オジョサン、何ガイイデス、アナタノ方カラ望ムコトヨロシイ」
「生意気をお言いでない、わたしの望むもの、お前にやれますか、やっぱり日本のものでない方がいいわね、日本のものだと、こっちがわかり過ぎてるから、マドちんが一生懸命やればやるほど滑稽になってしまう、だからいっそ、もとへ繰返して本場ものをやって頂戴。本場ものというのは、マドロスさんの本場もののことよ、わたしにはわからないでもいいから。わからない方がかえってアラが知れないで、珍しいところばかり耳に残るからその方がいいわ、威勢のいい異国物を聞かせて頂戴な」
「デハ、マタ西洋ヘ戻ッテ、イッショ懸命ヤルデス」
「いちいち説明はいらないから、立てつづけにやって頂戴、でも、くぎりだけはちょっと何か合図をしてね」
「デハ、ヤタラ無性《むしょう》ニヤルデス、マルセル、ボルカ、ゴルデン、ワルツ、マルチ――何デモ無性ニヤルデス」
日本物は全くプログラムから敬遠されてしまって、これから改めて異国ものの蒸返しに、マドロスが腕によりをかけ出した途端に、裏の戸締りをトントンと叩くものがありました。
「おや」
兵部の娘がまず驚くと、面《かお》の色を変えたのはマドロスです。ここまでは人の来るべきはずのところでないことを見定めて置いてかかっているのに――前に沼をめぐらした要害だから舟でなければ渡れない、その舟は隠してある、別に間道はあるにはあるが、夜分の追手にわかりっこはない、と安心しきって思うさま発展しているところへ、不意に背後から戸を叩くもの、それは気配によって見ても、まさしく人間に相違ないから、面の色を変えて手風琴を抛《ほう》り出したマドロスが、
「誰デス」
二十八
その時、戸を押破って猛然と飛び込んで来たのは、田山白雲でありました。
「ウワア、タヤマ先生」
マドロスが狼狽して、逃げ出そうとするのを、白雲は忽《たちま》ち取って押えてしまいました。
「ウスノロ!」
田山白雲が取って押えると、柳田が横の方から手伝いをして、忽ちマドロスを縛り上げてしまいました。
本来、このマドロスは大兵《だいひょう》でもあり、力も優れていて、拳闘の手も相当に心得ている奴なのでしたけれども、白雲に対してはどうも苦手なのです。安房《あわ》の国の洲崎《すのさき》で、駒井の番所へ闖入《ちんにゅう》し、金椎《キンツイ》の料理を食い散らしてから、衣食が足《た》って礼節を戸棚の隅から発見すると、性の本能が横溢し、その狼藉《ろうぜき》の鼻を田山白雲に取っつかまって腰投げを食《くら》い、完全に抑え込まれてから、銚子の黒灰の素人相撲《しろうとずもう》では連戦連勝を、またこの白雲の助言によって土をつけられてしまった。
他の何者に対しても、かなりの横着と粘液性を発揮するのですが、ひとり白雲に遭うてはすくんでしまう。
それに今日は、柳田という、超誂向きの助手があってすることだから、マドロスは身動きもできないし、グウの音も出ない目に逢って、たちまちそこへ縛りつけられると共に、みえも、飾りも、全く手放しで号泣をはじめました。そうした時に、意外にも、その間へ押隔たったのは兵部の娘でありました。
「田山先生、あんまり手荒いことはしないで頂戴ね」
「うむ、萌《もゆる》さん――君もいったい心がけがよくない」
と白雲は、押隔たる娘の面《かお》を浅ましげにながめて、たしなめると、
「マドロスさん、そんなに悪い人じゃありません、手荒いことしないでね」
「君を掠奪して、こんなところへ連れ込んだ不埒千万《ふらちせんばん》な奴じゃないか」
「いいえ、マドロスさんばかりが悪いんじゃないのよ」
「無論、君にも責任があるよ、何というだらしないこった、歯痒《はがゆ》くってたまらない」
その時、号泣していたマドロ
前へ
次へ
全138ページ中19ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング